私は、元々、主たる音楽活動がライブではなく、宅録であるんですが、兎に角、録音はする。多少上手くいかなくても、練習も無しに、出した音はいきなり録音をしてしまう。個人的には音を出すことに関してミストーンはないと思っているのだが、これは偶然性・一過性・即興性に任せて音を出しているからだ。まあ、私は職業音楽家ではないし、ましてや即興音楽家でもないので、それ程細部にこだわっている訳ではない。所詮、「音」であり、「ノイズ」であるだけだ。その即物性が「素材」としてノイズ・ミュージック向きであるのだ。だから、素材としての音は何でもいい訳である。ウエルカムです。例えば、90-00年代には私は専らメタルジャンクを素材として使ってきたが、今では、ミキサーのフィードバックからモデュラー・シンセに移行している。当然ながら、「音」には特性がある。例えば、打撃音を持続させるのは余り賢い方法ではない。だから、私は第2期K2では、ディレイ・ループとカットアップによるミキシングをやってた訳で、それを今のような電子音に適応しても、効果はそれ程でもないかも知れない。だから、音を聴く時、その音の特性を見抜く眼力(耳力?)がモノを言う。最近、私は以前ほど、過剰エフェクトや歪み系エフェクトを使わなくなっている。それは以前から使っているセミモデュラーや最近始めたモデュラーが、それ自体で好みの音作りが出来るからだ。つまり、余計なものを排除し、純粋に電子音を楽しめるからだ。(元々、楽器だしね。)。そしてミストーンが無いのは、まあいいんだが、録音してしまった音をどうするか?が一番のキモなのだ。即ち、私はミックスダウンに命をかける‼️これは重要だ。例えばステレオ(R-L)で4パターン録音したとすると、それぞれは無関係な音の連なり(演奏)なのだが、それをフェイドイン・フェイドアウトしたり、カットアップしたり、リバーブかけたりするのは、出てくる音の一瞬一瞬を、ものすごい勢いで耳と頭で処理して、ミックスダウンしていく訳なのだが、これは物凄く疲れる作業であるのも事実だ。このミックスダウンという作業が私の音楽のキモなのだ。そうして落とされた音は元の音の連なりとは別の、そう全く無関係であった音との連結によって新たな息吹を吹き込まれ、漸く「音楽」というか「曲」になるのである。この作業は90年代初頭からずっと変わらず続けてきた「私の録音作業」であり、その意味でMTR——今時、PCも使ったことがない——は楽器の一つと言っていいだろう。これはかつてのThis Heatが彼らの練習スタジオCold Strageを楽器としていたこととリンクする。私には彼らの程の完璧主義はないが、録音行為を「演奏」の一つとして捉える態度には共感を覚える。最近、名古屋でライブをした時に言われたのは「草深さん、K2のリリース、凄い熱量ですね。」ということ。その理由は上記のように何でもかんでも録音してしまい、してしまったものは、何とか料理するからである。だから、私は最初から「完璧」を求めないのである。完璧になるのは、ミックスダウンし終わった時である。不思議なことに、全く無関係であった音はミックスダウンの後では「必然性」を持ってくることである。まるで、そのように配置されるのが予め決まっていたかの様に。これはもう職人の域ですね、ノイズ職人! 以前、P16.D4のリーダーRLWことラルフ・ヴェホヴスキーに「何故、日本のノイズ・ミュージシャンはそんなに即興的なのか?」と尋ねられたことがあったが、厳密な意味での「即興」ではないと思っている、少なくともK2に関しては。彼は僅か7秒の音を録音するのに1週間かけるそうだ。ドイツ人らしいなと思う。でも、私の場合は、気合いと間合いでミックスダウンすることだけが、「即興的」てあって、演奏そのものは、特に即興だとは思っていない。このようなスタンスは多分、余りいないと思う。そんなこんなで、録音鬼K2は今日もノイズ・ミュージックを作り続けるのである。
お兄ちゃんが帰省から帰ってきました。
家族で迎えてます。
今日、ミックスダウンした2曲