初めて、Rock Magazineを手に取って読んだのは、多分、大学1年か高校2年か、それくらいだと思う。それまではちょうどパンクが日本に輸入されてきた頃で—-もっぱらイギリスやアメリカでは既にブームは去り、ポストパンクやニューウェーブであった訳だが——Player誌やミュージックマガジンなんかでパンクを勉強していた?のだった。そして、その頃、DOLL(パンク雑誌の草分け)に訳の分からんメン募を出して、バンドを作るべく画策していたのだった。そんな中、どストライクな雑誌名にもかかわらず、内容は何だか理解出来ない雑誌があった。それがRock Magazineであった。当然、田舎には置いてなかったので、駿台の夏期講習で東京に出てきてた夏休みに、買ってみたのだと思う。特集はGerman New Waveであったが、もっぱら現地で仕入れたであろうカセット作品の紹介記事を何度も何度も読んだ。「こんなカセット作品にどんな音楽が収められてるのか?」、妄想は膨らむばかりである。勿論、紹介記事には具体的なことは書かれておらず「個人の電磁波が云々」とか「匿名性の高い云々」とかで妄想は膨らむばかりであった。自分も、いつかこんなカセット作品を出したいとも思っていたと思う。そして、Vanity Recordsから作品を出していたToleranceをスピリチャル系の人に聴かせて、どんな色や形が感じられたかのレポートやその時はまだ有名ではなかったDie Kruppsのライブ・ソノシート(これは何度も何度も聴いた)が納められていたのだ。だから、多分、この体験は高校2年の時だな。そして、Rock Magazineの編集長にして、Vanity Recordsのレーベルオーナーの阿木譲氏。この人がまた、凄かった。多分、ラジオ番組をやっていたと思うのだが、彼がかけたので、強烈に残っているのは、”No New York”とVanity Recordsが出してたKiiiro Radicallやサラリーマン・クラブと言ったどマイナーな音楽であった。前者は既にブログにも書いたので省略するが、Vanity Recordsのカセット作品は、自分の音楽活動をやっていく上で凄く重要であった。兎に角、チープなリズムボックス(恐らくはDr. Rhythm DR-55)とテープや安物シンセによる宅録作品である。これなら自分も出来る!そう思わせたのだが、そんな音楽を作品として成立させたのは、一重に阿木譲氏の魔力であったと思える(実際、彼の嗅覚は凄い)。大学生になって東京に出てきてからもFool’s Mate(勿論、小さいやつ)とRock Magazineは購入していたが、後者はソノシート付きというのもあり、高くて買えないこともしばしばであった。メン募で集まった友達もできたが、みんな個性が強過ぎて、まとまったバンドにはならなかった。でも、セッションや使い捨てバンドをやっては壊しやっては壊ししていた。ただ、Rock Magazineや阿木譲氏をよく言う人は少なかったのは事実。「胡散臭い」「余計なアートワークなんか付けなくていいのに」とか、余り肯定的ではなかった。それでも、三つ子の魂百までで、個人的にはああいう作品を作りたいと思い、ずっとカセットMTRで宅録を続けていたのは事実。そう言うモチベーションというか魔力がRock Magazineや阿木譲氏にはあったのだ。そう言えば、ヒカシューがVanity Recordsからリリース予定があったとか、Nordsが無断で音源を作品にされかけただとかもあったらしいが、それは随分後から知った。今聴くとつまんない音楽なのかもしれないし、YouTubeても一部アップされているので、聴くことは出来るが、当時はもう妄想の音楽であったのだ。その妄想が高じて、1981年に適当て稚拙な録音物をKimihide Kusafuka名義でカセット作品として出し、いきなりDisk Unionに持ち込んだのだよ。ほんと怖いもの知らずでしたね。でも営業ができないことが仇となって、委託販売は自然消滅してしまった。この時、強く感じたのは「自主制作は営業力」ということ。まあ、それは置いておいて、昨日、その阿木譲氏が亡くなったとの訃報。いつまでも先鋭的であった彼の意思はどうなるのか?誰が受け継ぐのか?少なくとも関西マイナーシーンのもう一つのウェーブであった、彼の方向性はあながち間違ってはいなかったように思う。実際、彼が見出したDie Kruppsは今年(だつたかな?)、来日公演をしているし、Vanity Recordsからアルバムを出したBGMのメンバーは、その後、トリスタン・ディスコを結成、その後はDJになって活躍している。そう、Rock Magazineこそ、私を含めた多くのリスナーの人生を狂わせた雑誌だし、Vanity Recordsこそが、自分の作品を作るモチベーションであり、憧れのレーベルであったのだ。Vanity Recordsのボックスセットが出るとか出ないとかの噂はあるが、出たら、きっと買うだろうなぁ。自分の人生の分岐点に位置する「音楽」であったのだから。そして今でも、私は音楽を続けている。その意義や答えはまだ見つからないが、、、。阿木譲氏の訃報を聞いて、そんなことを考えさせられたのであった。