幸せになるために大事なこととして、「善悪はない」と知ることがあります。


善悪に囚われることで、自分が見たいものを見れていないことがあります。



例えば、事故に遭って大ケガをした人と、亡くなった人がいたとします。


大ケガをしたある人は、「大ケガをして最悪だ。自分は運が悪いヤツだ。」と思うかもしれません。


大ケガをした、また別の人は、「生きてて良かった。自分は運が良いヤツだ。」と思うかもしれません。


大ケガをした、またまた別の人は、「事故に遭ったな。そんなこともあるか。」と思うかもしれません。


俯瞰してみると、事故という事象が3人に起こっているだけです。


その事象に善悪はありません。


それなのに、事象の捉え方の違いで3人の気持ちは違う方向を向いています。



私は以前、被害者意識が強く、誰かの発言を悪く捉えることが多かったです。


相手が発した言葉を悪く捉えて、嫌われていると思い込んでいましたが、後で全然嫌ってなかったということが何回かありました照れ



この捉え方の問題に気付いた時、私は全く視野が変わりましたお願い


苦手な人混みの通勤時、いつも「ぶつかって来る人、みんな敵ムキー」と思って気を張って通勤していたのですが(皆さんすみませんでしたショボーン)、気付いた次の日からの通勤の光景が全く変わりました照れ


電車に乗っていて、「通勤ってこんなに穏やかだったの!?今まで自分は何を見ていたんだろう。」という気持ちになりました。


そして、通勤に余裕が生まれました照れ



起こる事象はただ起こっているだけで、そこに意味を付けるのは、人です。


普段、自分がどう捉えているか確認しながら生活すると、消費したくないところにエネルギーを使わなくて済むかもしれませんねウインク


これまたやってみる価値ありますアップ

幸せになるためにラブラブ