吉川弘文館版『佩文韻府』(全7冊)の刊行 | かんがくかんかく(漢学感覚)

吉川弘文館版『佩文韻府』(全7冊)の刊行

明治41年(1908)3月30日、当時は東京市京橋区南伝馬町

1丁目12番地に所在した書肆吉川弘文館 より1帙に収め

られた7冊本の韻書が複製・刊行されました。



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     吉川弘文館版『佩文韻府』第一冊表紙と第八冊奥付



『佩文韻府』(はいぶんいんぷ)というその韻書は、清国の

康熙50年(1711)に刊行された全106巻から成る大部なもので、

吉川弘文館 本はそれを6冊に縮印したものであるため、

利用者の便宜を図って附属の拡大鏡が添えられていました。



さらに吉川弘文館 本のもう一つの工夫は、画引きの索引を

附したことにあります。

『佩文韻府』は、熟語を末尾の文字の字韻によって「平水韻

という106の韻の順に配列したものです。


平水韻」というのは、漢詩の近体詩に用いられた音韻体系で、

平声(ひょうしょう)・上声(じょうしょう)・去声(きょしょう)・入声

(にっしょう)の四声を基本としつつ、該当する字の多い平声を

さらに上平声下平声に分つもので、上平声下平声は各々

15韻、上声は29韻、去声は30韻、入声は17韻の106韻に分類

されていました。


106韻の『佩文韻府』の康熙50年版の巻数と吉川弘文館 本の

冊次は、それぞれ次のようになります。



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     (※画像をクリックしていただき、拡大してご覧下さい。)



そのため、『佩文韻府』を用いるためには「平水韻」による

文字の配列を熟知している必要があり、例えば、手紙を意味

する「翰札」という熟語の用例を調べる場合は「札」の字が

「入声」の第8「黠」に所収されていることを知らなければ

その字にたどり着くことさえできなかったのです。



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     上平声「東」韻の熟語を収めた第一冊の巻頭.B5版の一面に

     康熙50年版の見開き二面を縮印している.



そのため、是非とも作成する必要があったのが画引きの

索引であり、その編纂に当たったのは以前の記事でも

紹介した大槻如電 (1845-1931)です。


そもそも大槻如電 は、『佩文韻府』を縮刷することを考えた

吉川弘文館 がまず最初に相談した人物で、縮刷の元に

なった書物も如電が父盤渓・大槻清崇(1801-78)より

引き継いだ唐本の一本を提供したものでした。


如電は、清国の乾隆21年(1756)に成立した『字類標韻』に

もとづき、約五ヶ月を費やして『佩文韻府』の索引を完成

しました。


さらに如電は、索引の組版にも十分に心を配り、夙に

吉川弘文館 より刊行されていた故実叢書本『尊卑分脈』

(1903-04年)の組版に当たった高橋赤次郎に自ら依頼を

しています。

かつて印刷された『尊卑分脈』を見て、その「活字組立伎倆

に驚かされたことを、如電は鮮明に記憶していたのです。



     かんがくかんかく(漢学感覚)
     『佩文韻府』索引の版面.



こうして完成した如電の苦心の作である索引を附して刊行

された『佩文韻府』は、さらに版を重ねて三冊本としても

刊行されました(第1冊;上平声・下平声、第2冊;上声・去声・

入声、第3冊;索引、1908-09年)。


以上今回は、吉川弘文館 版『佩文韻府』(全7冊、1907年)

について紹介しました。