【番外編】人名の訓み方
今回は、前回の記事 のコメント欄に寄せられた「えらい人の
名前のよみ方わかんない(^_^;)」という「
」さんことO先輩のご要望にお答えして、人名の訓み方を確定していく
史料について紹介します。
人名の訓み方を考えるための史料としては、以下のような
ものがあります。
1)履歴書
明治時代の官僚ならば、任用や考課の際に提出した履歴書や、
在職中に死去した者については祭粢料(天皇からの香典)を
算定するために作られた履歴書が各役所に保管されてきました
(それらの一定部分は、現在では国立公文書館 所蔵)。
その中には自筆のものもあり、したがって履歴書の名前に
附けられているルビは名前の訓み方を確定する際に最も
重要な史料となります。
例えば、以前の記事 で取り上げた五条為栄という人については、
元老院に保管されてきた自筆の履歴書に「タメシゲ」のルビが
振られており、下の4)に紹介するように「ためよし」とルビを
振った書物もありますが、一応は履歴書にしたがって「ためしげ」の
訓みを採用することになります。
もちろん訓みを確定する上で、自筆の署名が100%の信頼を
おけるものでないことは、例えば言語学者の上田萬年(かずとし)
が「M. Ueda」と署名していることなどからも明らかで、複数の
史料を相互に検討する必要があることはいうまでもありません。
2)書簡・仮名序など
次に、かな書きの書簡や書物の仮名序の中で、人名を記して
いる部分があります。
特に、本人の書簡や自序の末尾に「○○しるす」のように書かれた
部分は、場合によっては役所が作成した履歴書よりも信頼の
おける史料となります。
3)書物の奥付
さらに、刊行された編著書を遺した人物については、書物の奥付に
付されているルビがあります。奥付というのは出版社が作成する
ものなので、1)や2)ほど信頼のおけるものではなく、屡々誤りも
みられますが、参考にはなるものです。
また、当時の書物の奥付には編著者の住所を記しているものが
多く、そのための史料としても重要です。
4)新聞や書物の記事に振られたルビ
当時の新聞や書物には総ルビに近いものもが多く、現在に
比べて多くのルビが振られています。そのため、新聞や書物の
関係記事をみていくと、思わぬ人名のルビに出くわすことも
あります。
しかし、これには誤りが多いため、即座に採用することはできずに
さらに1)~3)のような史料はないかと探すことになります。
鎗田徳之助(編)『日本相撲伝』(1902年)「朝日嶽の横綱」.
五条為栄には「ためよし」のルビが振られているが…….
5)人名録・姓名録
明治時代においても、文人や画家の名前と略伝を集めたものや
議員の名鑑など、さまざまな人名録・姓名録が刊行されています。
それらは、1)や2)のような一次史料ではありませんが、重要な
情報が含まれていることもあります。
例えば、岡松辰 (1820-95)という漢学者は、「甕谷」という号で
知られています。この「甕谷」という号は、岡松の家では現在に
至るまで「ようこく」と訓まれていますが、辞書の類をはじめ
一般的には「おうこく」とされています。
しかし、明治12年(1879)の序文を持つ『明治文雅姓名録』
という本によると、「甕谷 内幸町二丁目一番地 岡松辰」は
「ヨ之部」に取り上げられており、当時においては専ら
「ようこく」の訓まれていたことが分かります。
『明治文雅姓名録』「ヨ之部」.「甕谷 岡松辰」が取り上げられており、
当時の一般的な訓みは「ようこく」であったことが分かる.
以上のほかに、現代に刊行された人名事典などがありますが、
これらの「訓み」については、一応再検討してみる必要がある
でしょう。
比較的に信頼できる吉川弘文館 刊行の『国史大辞典』や
『日本史研究者辞典』がありますが、例えば前者は「岡千仭 」
(おか ちたて)を「おか せんじん」で立項するなど、問題点も
あります。
ちなみに、前回の記事 で取り上げた「錦山・矢土勝之 」についても、
「やど・きんざん」で立項している辞書もありますが(!!)、「やづち・
かつゆき」で立項すべきでしょう。
これらの情報を相互に批判的に検討しながら、人名の訓み方を
確定していくということで、「これが決定打」という史料はないというのが
実情です。
以上今回は、「人名の訓み方」を考える素材について紹介しました。