感覚を閉じてアタマで考える…
それがいい、悪いという話ではなく💦
自分はそうやってしまう傾向が強かったなぁと
反省
感覚、感性が鋭すぎて
いろんなものを感じ取るのがいやで
なおかつ
自己という存在は少しでも損をしたくないから
(得をしたい)計算する
すなわち「考える」
なんかいちいち
いろんなものを感じ取るのが面倒で
アタマで考えてばかりいる(いた?)ような気がする
いつからかなー
やはり「自己」(自我)が芽生えた時から?
たくさん傷ついて、感性を麻痺させた蓄積?
別にいいんだけど、
それが悟りや見えない世界から遠ざけて
自分(自我、自己)をものすごく強めてきた気がする
それは自己の「達成感」でもあるから
それを味わいたかったんだよね、きっと
「自分がやった」「自分が手に入れた」
「自分が達成した」
みんな『自分』の手柄…笑笑
それで死ぬまでいくことが出来れば
それはそれでありなんだけど
わたしのシナリオはそうはならなかった
これから先はどうなるんだろう??
ちょっとは不安が薄まって
それこそ、“自分の”
感覚、感性を駆使していけるのだろうか?
まあ、やってみよー❗️