先日、結局、充電されたのを確認して
久しぶりに母と電話で話した
母自身のこと(ワクチン打たないってさ!笑)や
弟のことなど、実家のことを聞いた
久しぶりに話すといろいろ思うことがある
いろんなことに気づいた
ひとつひとつ細かく丁寧に書きたいくらい…
それはまた書く機会がありそうだから
その時に譲る(笑)
いま世間で
“毒親”と言うワードを耳にする機会がよくある
わたしも少なからず
父が亡くなったあとは母との関係が難しくなっていた
(母を尊敬してたし、仲良くしてたのに!笑笑)
そこには
それこそ、少なからず
(こうあって欲しい)という“理想”があった
理想というと高い目標のようだが、
(せめて)とか(普通は)とか
願いのようなものも同じ。
それは少なからず世間の母親像と比べたり
自分の過去、つらい思い、満たされない思いから
(こうあって欲しい)(欲しかった)と湧いてくる
でも、それはどんなに願っても
こうあって欲しい、欲しかった、という理想、
「思い」なのだ
人間でいる以上、それぞれの価値観がある
それと乖離すればするほど
そしてそれがどうにもならなければならない程
苦しくなる
「いまが不十分」と感じている
…そこからすべてが派生してくる
わたしも電話で話している時は
少なからず戸惑いがあったが、
それは「“わたしというレンズ”を通したもの」と
気づくと共に、消えていった
話している時にも気づけるようになっていた
(感情から瞬時に一旦離れて、俯瞰出来ていたようだ)
おまけもあった
時間が経つとなぜか
「いい思い出」ばかりが浮かんでくる
優しかったなあ、一生懸命育ててくれたなぁ。と
これはわたしが、現実と向き合った結果
(たまたま)いま、手に入れたものである
現実に母と会話しなければ起こらなかった思い、である
そしていま
『現実が理想』なんだという思いに満たされている
その日の空。
