これ、本当に矛盾していると思う
「言葉じゃない」「理解じゃない」
って、いつもわたしも書いている
でも、どんな悟り人たちも
誰かのトークを聞いたり、本を読んだり
動画を見たり、メッセージに触れてきている
わたしだってそうだ
どれだけ賢者テラさんのメッセージを読み込んだか。
もう、テラさんの代役が出来るのでは、
というほど読み込んだ
(図々しいが、それくらいアタマでは理解した)
それでも、本当の意味ではラクにはならなかった
(でも、人間のレベルでは、それがあったから生きてこられたというくらい救われた)
それはじゅんころさんや、
菜穂さんのどんなステキなメッセージを聞いても
同じだった
たしかに、本当の意味でのラクにはならない
でも、でも、そのメッセージには惹かれる!
その時、その場だけでも、グッとくる!
その言葉を持ち歩くだけでもラクになる!
(つい最近持ち歩けないと、書いたばかり、笑)
そう、その言葉を理解し
「わかった!」
なんか、スッと、溜飲が下がる瞬間がある
時には
(ああ、そうなんだ…この苦しみはそういうことなんだ)
あるメッセージに「癒される」
“救われる”瞬間がある
どちらも「出会ってよかった」と思う瞬間である
それなのに
覚者たちは「言葉じゃない」という
矛盾している
わからない
確かにその場はラクになるのだが、
また、苦しくなる…
それは本当に困った話なのだが、
わたしも一瞥の瞬間に
(学んだことは全て自分自身だった)そして
(いままで学んだことは意味がなかった)と
なぜかそう知ってしまったのである
あんなに読み込んだものが
もしかして要らなかった…
そうは個人としては思いたくないほど
真剣に向き合ってきたのに、
「意味がない」と知ってしまうのである。
個人としては「絶望」である。
しかーし、しかし
そんな物とは引き換えにならない、
いや、もう、天地がひっくり返る、
(むしろ自分は天地だったという方が近い、笑)
くらいの究極を知った
(知る人はいないのだが、ややこしくなるのでもういちいち書かない)
そこで初めて
覚者たちの言うことがわかった
本当に言葉じゃないし、理解でもない
もちろん、いまもそう思っている
でも、でもね、
(そうか…)と無理矢理歩みを止めることはない
疑問が湧いたら調べればいいし、
苦しくなったら、言葉を思い出して救われればいい
救われる説文、経典、教え、ワーク…
何でもやったらいい
覚者たちが「意味ない」
そう言っても「自分」がやりたいならやればいい
だってあなたの人生でしょ!!!
あなたが決めなさいよ!!!
(なんか朝からエネルギー爆発してる、笑笑)
それがきっと本当の意味で救われる、
につながるから
そう、自分自身を信じてあげて
あなたの人生なんだから
あなたがよければそれでいい
