昨日、地元の祭りが終わった



朝早くからの笛太鼓の音が、今日は聞こえない



なぜか寂しい



もともとは、なかった物なのに











そして雨。




雨はなぜか、いろんなことに気づける




静かだから、かな












ふとしたことから


アジャシャンティの文章をネットに見つけた







(わー、なんか、見えない世界のこと久しぶり!)






最近はちっとも興味がなくなって


素通りばかりだったのだが、


アジャだけは特別、と思い少し読んで見た

















(あ、やっぱりそうなんだ)



(これでいいんだ…)




















もう、わたしの中には




たとえアジャシャンティであろうが


ブッダであろうが


それは自分を超えるものではない、




という感覚がある





(あんなに覚者に憧れていたのが嘘みたいだ)

















それは決して


「自分、サイコー⤴︎」と言ったものではなく





「アジャだろうとわたしと同じである」


という感覚に近い
















けれどやはり、



尊敬する覚者の言うことと


自分がここのところ感じている感覚が同じ



ということに喜ばないはずもない














(これしかない)と思いつつも


(これでいいんだ)と思う














なんとなく、いまの立ち位置みたいな物を


感じ取ることが出来た












と書くと、

まだ先を期待しているように思われたかもしれない














けれど、もう、昔みたいに


「必ず、先がある」「解放される」


という思いはない












なぜだろう???


















やはり、いつのまにか


“自分という枠が限りなく透明になった”


としか言いようがない















何もしていないし(瞑想とか)


何も変わったことは(体験とか)ないんだけれど









ほんとうに、いつのまにか、少しずつ







でも、確実に。



















ここを訪れて下さる方もきっと変わっている





ご自身が、気づいていないだけかも?











何もしてなくても、いつのまにか、ね





















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かわいい〜

これも欲しいなぁ