思い起こせば

そんなことをしょっちゅう考えていた子供の頃







転校ばかりしていたせいで

孤立する時間が人より多くあったせいか

いろいろ考える子供だった













なぜ生まれてきたのか


なぜ生きなければいけないのか










わたしの場合は

両親が愛情深かったので



ひたすら「親を悲しませたくない」

「親が可愛がってくれるから」



それだけで生き延びてきた気がする











もちろん、友達と遊ぶのが楽しい時もあった



けれど、友達とは

2年後にはまた離れる、もう一生会えない

という子供にしては酷な

刹那的な想いでいつも過ごしていた













あとは死にたくならないように



漫画を夢中で読んだり

音楽に夢中になったりしていた


それと、食べることでいつも紛らわせていた

(これが原因で肥満児になり、さらにイジメの対象となる悪循環)






何かに夢中になっていないと

何かで紛らわせていないと


そうしないと(なんで生きないといけないの?)

常にそんな想いが湧いてくるのを紛らわせていた









闘病の行き着く先が

この悟りの世界だったのだが




ここでは


〈そもそも生まれていない〉


ということを知った








長年の疑問の答えに、辿り着いたようだった





(もちろん正確には、知れないし、辿り着けない)









けれども、

人としての体感が無くならない以上

やっぱり〈生きているんだな〉

という感覚は無くならない



少なくともいまのわたしは







もちろん、悟りは悟りなので

先も無ければ後もない







人間として

時空間を生きている、と捉えるなら

この先は何が起きるのだろう?と

(存在しない)未来に思いを馳せてみようか






…という事実、思いがあるだけなのだけれど





どこまで行っても



笑笑