上野公園で遊ぶ-2(黒田清輝) | 先祖を尋ねて

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姓氏のご紹介はほぼ終わったので、日常雑事、架空の物語、政治経済など気儘に書き込む。
参考資料、文献などは要所に集約して示す。

上野公園で遊ぶ-2(黒田清輝)
美術品

黒田清輝の作品


 黒田清輝は本名は(キヨテル)と読むが、画家としては
(セイキSeiki) と発音することは、御存じであろう。
これは父の法律家としての後を継ぐべく、フランスに留学し、
芸術家としての才能に気付き、父の許しを得た頃に、
名前も、Seiki.-Kovroda. とフランス人向きに表記したと思う。
(誤字はありませんが、光源氏の理解不足かも知れません)


図06.湖畔6湖畔1.jpg
 芸術家になる父親の条件は「画業で生活できること」だった。
西洋画の文化のない日本では、全く売れなかった。その時に
モデルになって呉れた女性を、清輝は生涯に亘り敬愛した。


図07.同上・カバー付け7湖畔2.jpg
 モデルの浴衣生地をタオルにした物が人気。僕も昔から使っており、
ここでは扇形に切り抜いてカバーにしている。(=⌒▽⌒=)

図07・3.撮影コーナー 7湖畔3.jpg
 東京国立博物館(通称:トーハク)内で撮影許可場所だ。

図07・4.モデル不在湖畔7湖畔4.jpg
 撮影コーナーの秘密はこれ。容姿に自信のあるご婦人向きだ。

図07・5.生きたモデル7湖畔5.jpg
 東京には美人がいるのか!!許可を得て撮った。ヽ(゚◇゚ )ノ

図07・6.そのお友達7湖畔6.JPG
 光源氏と同席して撮りたいとジェスチャで(爆笑)。
遠慮したが、座る場所が左過ぎたね。脚を椅子の向こうに置くべきだヨ。

図07・7.別の二人連れ7湖畔7.JPG
 ピンボケを選んだ。美人小母さんだったよ。

尚、トーハク所蔵の「湖畔」は1897年制で180年前の作品だ。

図08.木かげ8木陰.jpg
 明治期の日本人には受け入れないポーズなのだ。
今でも公衆面前では違和感が残るのでは?∑(゚Д゚)

図09.舞子9舞子.jpg
 これも舞子の雰囲気、座る場所とも日本人は受け入れない。

図10.針仕事10針仕事.jpg
 バタ臭い面貌だが、清輝自身が細かい作業を好きだった。

図11.読書11読書.jpg
 これも有名な作品だが、針仕事に通じる雰囲気がある。

図12.館内売店12売店.JPG
 ここも撮影禁止だった様だが、注意を受けるだけでカメラの
没収は免れた。(^-^)/

明日は、黒田一族の系譜を述べたい。
驚く一面があります。(続く)

--------6湖畔1.jpg