光源氏のモデル
光源氏は架空の人物
ご承知の通り、紫式部が創作した世界的なお話「源氏物語」の単なる
主人公であって、実在人物ではない。
蛇足ではあるが、「光源氏」は「光り輝くように美しい源氏」と言う意味であって
「光」は名前ではない。
そう言う名前をニックネームにして、日本人の「お名前や家系図」を尋ねる(爆笑)
図1.光源氏
光源氏の系図
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この様に架空の人物でも実在したかの様に家系図は描けます(笑)
図2.藤原道長
逢ったことないですが、実在したらしいので系図はあります。後日掲載予定。
紫式部は平安中期の女房であって、藤原為時の女(むすめ)であると
ハッキリしているのに、生没年が未詳という不思議を持つ。
(生年は973年頃、没年は1031年(長元4年)頃と考えられているが)
1001年(長保3年)のころ夫と死別後、一条天皇の中宮彰子に仕えた間、
時の権力者・道長や殿上人に重んじられたが、美人ではなかったと(笑)。
でもお多福の平安美人ではなかったが、現代感覚ではキリリと締まった・
理知的な美人だったに違いない(爆笑)
紫式部の系図
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六歌仙に選ばれるほどの才女でもあり、道長の命により中宮・彰子を慰める為に
「源氏物語」を創作したと言う。
そんなことから、光源氏のモデルは「藤原道長」と今から60年も前の高校時代に
教えられ、何の疑問も持たなかった。
何気なくウィキペディアを検索したら違う:
①嵯峨源氏の正一位河原左大臣の源融(みなもとのとおる)モデル説が有力。
②醍醐源氏の左大臣源高明。
③光孝天皇。
④藤原道長。
⑤藤原伊周。
⑥源光。
⑦嵯峨天皇。
など多くの候補の名前が挙げられている。
同時に、在原行平・業平、菅原道真などの平安貴族の良い所が取り入れられている。
藤原道長などは4番目の候補に過ぎないのはチト残念(笑)
①の源融(みなもとのとおる)にビックリ(爆笑)
もう少し調べたら、もっとビックリ。
②以下は割愛します。
これは明日のテーマ(渡辺さん)に