最近のニュースを見ていて、半世紀以上前に母校、木更津高校の先輩が起こした「光クラブ事件」のことが、どうしても思い出されてならない。

昭和24年11月24日、東京大学・法学部学生で銀座のヤミ金融会社「光クラブ」社長の山崎晃嗣(当時26歳)は光クラブの社長室で青酸カリをあおり自殺した。
山崎は大正12年10月に千葉県木更津市で5人兄姉の末弟とて生まれた。父は木更津市長をつとめた。東大在学中に学徒出陣、戦後間もなく復学した。昭和23年9月に中野で金融会社「光クラブ」を設立した。月1割3分という高い利息を払うことで出資者を募り、集めた金を月2割1分から3割の高利で貸し付けた。

山崎は返済しない顧客に「契約」をたてに取り立てた。その結果、光クラブは設立から3ヶ月間で1000万円の大金を動かすまでになった。翌24年1月、光クラブは中野から銀座に進出する。この頃同社は資本金600万円、株主400人、社員30人に急成長した。

「光クラブは日本唯一の金融株式会社です」というキャッチコピーを新聞広告で大々的にPR。東大生の社長と新世代をイメージする「光クラブ」というネーミングが評判を呼び、銀座に移転してから3ヵ月後には月商5000万円に達する空前絶後の成長を遂げていく。

光クラブの未曾有の急成長はわずか1年で崩壊する。昭和24年7月に山崎はヤミ金融の容疑で京橋署に検挙された。この時、山崎は「人生は劇場だ。ぼくはそこで脚本を書き、演出し、主役を演じる。その場合、死をも賭けている。」と供述している。

山崎は9月処分保留のまま釈放されたものの光クラブの運営は滞り、出資者から出資金の返済を迫られ自殺した。山崎は遺書に、「私は行き詰まったからでも、債権者に死んでお詫びするというセンチメンタリズムで死ぬのではない。契約は人間と人間を拘束するもので、死人という物体には適用されぬ。そのために死ぬ」と遺されていた。

この事件は1979年に「白昼の死角」として、木更津ゆかりの俳優が出演し映画化された。
また、山崎の同期であった三島由紀夫が、「青の時代」のモデルにしている。
三島のストーリーの中に散りばめた警句やメッセージは現代を風刺しているようにも読める。

■人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る

■そもそも唯物論は「金で買えないものは何もない、どんな形の幸福でも金で買える」という資本主義的偏見の私生児なのである

■人は無力で、多くは勤め人になって隷従するか、商人になって媚を売るかである

■現代では宣伝のほうが実質よりもずっと信用される

■人間、正道を歩むのは却って不安なものだ