セクレタリアトと言われても知らない方も多いはず、この馬はアメリカで産まれ育ち後の三冠馬となりますが、どんな馬かを一言で片付けると、ダート版のディープインパクトと言えます。

このセクレタリアトは1973年頃から活躍しますが、ダート2400mで世界レコード出し、未だに破られてはいません。



ではどんな馬だったのか覗いてみます。



セクレタリアトは、1970年3月30日アメリカ競馬発祥の地バージニア州で最大級の規模を誇るメドウ・ステーブルで生まれた。

名前のセクレタリアトは「事務局」または「書記職」という意味であり、牧場の事務を一手に引き受けたエリザベス・ハムに感謝しつけられたといわれる。

父ボールドルーラーはアメリカのリーディングサイアーを8回に及んだ大種牡馬だが、セクレタリアトが現われるまでアメリカの三冠競走には縁がなかった。


ボールドルーラーのオーナーであるグラディス・フィプスは種牡馬の種付け料として変わった方法を用いた。
その方法というのが、種付け料が無料の代わりに生まれた産駒を生産者とフィプスの間で交互に所有し、その順番はコイントスにて決定するという面白い契約だった。

セクレタリアトもメドウ・ステーブルの代表者ヘレン・チェナリーとフィプスの間でこの契約が交わされ、1969年にサラトガ競馬場で翌年生まれる仔馬をどちらが所有するか勝負した。このコイントスはチェナリーが勝利し、メドウ・ステーブルが所有することになった。

ルシアン・ローリン調教師のもと鍛えられたセクレタリアトは、7月のアケダクト競馬場で行われたメイドン(未勝利戦)でデビューした。4.1倍の一番人気に押されたもののスタートで出遅れさらに道中でも2度の不利を受けハーブルの4着に敗れてしまい、デビュー戦を飾ることは出来なかった。

1週間後同じくアケダクト競馬場で行われたメイドンでは6馬身差の圧勝で初勝利した。
セクレタリアトはこの後サンフォードステークス、ホープフルステークス、フューチュリティステークスを含む5連勝を上げた。特にホープフルステークスは当時は2歳最重要レースで、ここも5馬身差で勝利し、マンノウォーの再来、二代目ビッグ・レッドと呼ばれるようになった。

7戦目のシャンペンステークスでは出遅れたうえストップザミュージックと接触、結局進路妨害で2着降格したが、ローレルフューチュリティ、ガーデンステートステークスを連勝し、最優秀2歳牡馬とともに2歳にしてアメリカ年度代表馬に輝いた。

3歳時編集

1月3日、生産・所有者であるクリストファー・チェナリーが死亡した。

資産のほとんどは牧場と競走馬だけだったが、相続税の総額は600万ドル程度になると見込まれた。
相続人にはそれだけの現金資産が無いため、繁殖牝馬や土地を残して牧場を続けていくためには、競走馬を売り払って納税の原資を捻出するほかなかった。

競走馬の評価額のほとんどは前年の二冠馬リヴァリッジとセクレタリアトが占めていたが、シーズン後半に調子を崩したリヴァリッジよりは、将来性のあるセクレタリアトの種付権を売却するほうが有利だろうということで、チェナリーの遺産管財人はセクレタリアトの売却を決定した。

その価値は500万ドルから700万ドルと見積もられたが、1口20万ドルの大台に乗ると売れ行きが心配だとの判断もあった。結局19万ドル×32株、総額608万ドル(約18億700万円)のシンジケートが売りに出され、3日で完売した。

これは英三冠馬ニジンスキーが付けた544万ドルを上回るものだったが、セクレタリアトのシンジケートを主導したセス・ハンコックはのちに「買い手からすれば盗んだも同然の安値で、総額1500万ドルの価値はあった」と述懐している


セクレタリアトの重さはこの当時の純金価値よりも高額だった事から、タイム誌の表紙を飾ったときの純金馬というキャッチフレーズになった。

しかし実際はその三倍であり、この金額をセクレタリアトの体重で割ると、1オンスが325ドルとなり、当時の純金1オンスの価格(約100ドル)の3倍に当たることから、「ゴールドより高い馬」として大きく報道された。

このシンジケートの株購入者の中には、社台グループの吉田善哉も名を連ねている。

この間暖かいフロリダで過ごし、3月ニューヨークに戻った。ケンタッキーダービーの前哨戦であるウッドメモリアルステークスで3着に敗退するも、それ以外は全勝で、ゴーサムステークスはレコードタイムだった。

ケンタッキーダービーは、最後方から徐々に進出し最後の直線で抜け出すと、ノーザンダンサーの持つレコードを0.6秒更新する1分59秒4のレコードでまず一冠を獲得した、
このレコードは30年以上経つ現在でもケンタッキーダービーのレコードである。



2冠目のプリークネスステークスも最後方から早め先頭でシャムに2馬身半差をつけ楽勝。

2馬身でも楽勝
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タイムは最初1分55秒と発表され、後に1分54秒4と訂正されたが、公式タイムとは別にレコードタイムとなる1分53秒4が載せられている。


史上9頭目のアメリカ三冠を達成したベルモントステークスは、セクレタリアトのベストレースで、ベルモントパーク競馬場には6万7千人の観客が詰め掛けていた。

レースはセクレタリアトの独擅場となった。珍しく逃げの戦法を取ったセクレタリアトに、前二冠で連続2着となっていた対抗のシャムが唯一ついて行こうとしたが早めに力尽き後退、その他の馬たちもまったく付いていけず、直線入り口ですでに10-20馬身差、ゴールしたときは2着のトワイスアプリンスに31馬身もの差をつけてしまった。


2着が来ない❗大楽勝セクレタリアト
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タイムは2分24秒0、従来のレコードを2.6秒短縮する大レコードで、40年以上経過した2016年現在でもダート12ハロンの世界レコードである。

セクレタリアトの他に2分24秒台を記録した馬はおらず(25秒台もいない、26秒台もわずか7頭)、もはや更新不可能といわれることも多い。また、2400m-2分24秒という時計も然ることながら、自らが逃げて作り出した通過ラップタイム(400m:23秒6-800m:46秒2-1200m:1分9秒2-1600m:1分34秒2-2000m:1分59秒)も驚異的である。
(確認しておきますがこれはダートです。)


400mの通過タイムを除き、800m以降の到達タイムは、いまだにベルモントステークスのレコードタイムとなっている。さらにベルモントステークスの2日後、雑誌『タイム』の表紙を飾り特集が組まれた。これにより競馬に興味のない一般層にも名前が知られる事となった。


セクレタリアトはその後も走り続け、熱発等で2度の敗戦を経験するも、ベルモントステークスの次走アーリントン招待ステークスも9馬身差、芝のレースにも挑戦し、初戦は初代ビッグレッド、マンノウォーを記念したマンノウォーステークスに出走し5馬身差レコード、芝でも変わらない強さを見せ付けた。

引退レースでカナダに遠征したカナディアンインターナショナルチャンピオンシップステークスも圧勝し、2歳時に続いて3歳時も年度代表馬に選出された。

生涯成績  21戦16勝


引退後

父ボールドルーラーが繋養されていたクレイボーンファームで種牡馬入りし、馬房は1971年に死亡した父がかつて使っていたものが用意された。

セクレタリアト自身の種牡馬成績は一般的に失敗だと認識されているが、これは競走成績や同世代のミスタープロスペクターと比較されてしまうことや、米種牡馬リーディングの上位に入ったのが1988年の8位の1回のみであったのも原因の一つである。

しかし、

産駒にはBCディスタフに勝ち北米年度代表馬になったレディーズシークレット(Lady's Secret)

1988年プリークネスステークス・ベルモントステークスを勝った米二冠馬リズンスター (Risen Star)

などの活躍馬を含む653頭の産駒から57頭のステークスウィナーを輩出している。

現在、リズンスターをはじめとする幾つか残した父系子孫はそのほとんどが途絶してしまった。

しかし母の父としては

ストームキャット

エーピーインディ

サマースコール

ゴーンウエスト

セクレト

チーフズクラウン

等を送り出したことで評価されている。1989年秋頃、蹄葉炎を発症し、治療を受けるも4本の足全てが蹄葉炎に蝕まれるなど手の施しようが無いほど悪化し、10月4日正午過ぎ安楽死の処置が取られた。19歳であった。遺体はクレイボーンファームに埋葬されている。

日本にも産駒が何頭か輸入されたが、重賞を3勝したヒシマサルが目立つ程度で、それ以外の産駒の目立つ活躍は無かった。

セクレタリアトはかなりの大食漢で、馬体重530kg前後とかなりの大型馬であったにもかかわらず、欠点のない馬体と評された。あだ名は「ビッグ・レッド」のほかに食べて寝てばかりいたことから「のんびり屋」。

(ええ❗私ですか(笑))


死亡時にケンタッキー大学で解剖が行われ、心臓の重さが10kg弱(通常の馬の平均は9ポンド(約4キログラム)であるのに対し、セクレタリアトは22ポンドもあった)と、通常の馬の2倍以上あることがわかった。なんら病的なものは見られず、セクレタリアトの強さの原動力の一つとされている。

絶好調時の調教は圧巻のタイムを連発していた。デビュー前からダート5ハロンを58秒を切ることも珍しくなく、初芝となったマンノウォーステークスの追い切りでは報道陣の前で芝5ハロンを56.8秒というタイムを記録。セクレタリアトの攻め馬手ジミー・ギャフネイは体重が62kgあったことを考えるとこれらの調教レコードは極めて優秀なものである。

バテないスタミナや、サラブレッド離れした筋肉とバネのある独特のフォームから繰り出される爆発的な加速力は等速ストライドと呼ばれた。

セクレタリアトは競馬場やレース展開によって2種類のストライドを使いこなしていた。(短:7m60cmピムリコ計測、長:8m53cmベルモント計測)通常、サラブレッドのストライドの長さは馬格と関連している。

前脚と後脚の間の距離が長いほど、胴が長くなりステイヤーとなり、逆に胴が詰まっている馬はストライドが短くなりスプリンターとなる。

セクレタリアトはストライドを自らが自在にコントロールできたので、こうした類型に当てはめることができなかった。

このような桁外れな同馬を20世紀最強の名馬と言われている❗