二度目の最優秀賞を頂きました | 心に灯をともす物語

心に灯をともす物語

世に埋もれた出来事や名言を小さな物語として紹介します。読者の皆様の心に灯がともれば幸いです。




(社)日本WEBライティング協会が主催する

第三回感動ストーリーコンテストの最優秀賞を頂きました。

二度目の受賞に心底びっくりしています。


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【海を越えた襷】


あるアスレティックトレーナーIさんは 今から31年前、
まるで映画のような経験をします。

世紀の祭典、オリンピックでのことです。


大会最終日に行われるマラソン競技。

彼がトレーナーとしてケアを担当したマラソンの外国人選手が
足を痛めます。
あろうことか、足の裏に出来た豆が、つぶれてしまったのです。
しかも本番は明後日という日。


原因はシューズでした。
マラソンランナーのシューズは、幅や厚さ、高さなどが
微細なレベルで調整されています。
選手にとっての微妙な違和感ひとつひとつが、
42キロの間に徐々にダメージを与えていくからです。


オリンピックに照準を合わせて調整した何十足のシューズから
もっともフィットするものを選んだつもりでした。
しかし、コンマ数ミリレベルで微妙にサイズのずれたシューズを履いてしまっていたのです。


事態に慌てたIさんらスタッフたち。
先ず、血豆の適切な治療を施します。

献身的なこまめな治療は昼夜を通して続けられ、スタートの
直前まで行われました。


そのおかげで、足自体はなんとかスタートラインにはつけそうな状態に回復しました。

しかし、対策はそれだけではすみませんでした。
フィットするサイズのシューズを急いで探さなければ
ならないのです。


スタッフは開催都市近郊はもとより、アメリカ中をくまな
く探します。
が、見つかりません。
それもそのはずです。


その選手は有名な世界的スポーツメーカーのシューズを
履いていましたが、その中でもそのシューズは日本支社が
作ったオリジナルの商品だったからです。


同じものは遠い日本にしかありません。
Iさんは頭を抱えました。
明後日のスタートに間に合うはずがないのです。
しかし、Iさんはいてもたってもいられず、とうとう
その東京支社に電話します。

駄目元でした。

ああ、しかし、この一本の電話こそがとんでもない奇蹟を
巻き起こすのです。


事情を聴いたのは日本支社の副社長でした。
シューズを探します。
ありました。


さて読者の皆様、この副社長はどうしたと思いますか?


このシューズをある女子社員に渡してこう云ったのです。
「今からただちに成田に行きなさい。
そして誰でもいいから頼んで届けてもらいなさい・・・。」


副社長も副社長なら、この社員も社員です。
急いで成田に向かったかと思うと、なんとこの社員は
空港の出発ロビーで叫んだのです。

「誰かロサンゼルスに行く方、いらっしゃいませんかぁ?」

そうです。
これは1984年のロサンゼルスオリンピックでの出来事でした。

空港のロビーで大声で叫ぶ彼女に、
しかし誰も見向きもしません。
それでも彼女はあきらめません。


次に彼女は、ロサンゼルス行の便のカウンターに向かいます。
そして並んでいる乗客一人一人に声をかけました。
しかし、ロサンゼルスの選手村にこのシューズを届けて
欲しいなどという、この不可解な頼み事に、
誰も聞いてはくれません。


そのとき、1人の女性が話しかけて来ました。
「どうかなさいましたか?」
客室乗務員です。


女子社員は丁寧に丁寧に事情の一切を説明し、懇願しました。
するとその客室乗務員、会社に掛け合ってくれると言います。
そして30分後 ……。


期待に膨らむ彼女に帰ってきた言葉は
「ノー」。
業務上問題あるという理由でした。
万策尽きた彼女は、その場に座り込み我慢できずに
ついに泣き出してしまいました。


そして、ひとしきり泣いた後、駄目だったことを
社に連絡しようと、とぼとぼと公衆電話に向かいます。
そして、受話器を取ったその時でした。


「私が運びましょう・・」
突然、背後から声をかけられたのです。
見ると、先ほどの客室乗務員でした。


「ただし、どこの誰かは絶対に云わないと約束できる?」


へなへなと座り込み、そしてこれまでの何倍も何倍もの
大粒の涙を流し感謝の言葉を念仏のように繰り返しました。
そして涙の止まらぬ彼女をよそに、シューズを受け取った
客室乗務員は、何食わぬ顔で搭乗して行きました。


レースの前日でした。選手村にシューズが届いたのです。
歓喜したIさんに、シューズメーカーのアメリカのスタッフが
不機嫌そうに云いました。


「靴は白地に金のラインが入っている。
  これでは日光が反射しどこのメーカーか分からなくなる。
  そんなデザインは私たちブランドメーカーとして
                                                            提供できない。」


「そんなことを言ってる場合じゃない。
                                  スタートは明日なんだ。」



Iさんと大揉めに揉めます。


そのときでした。
当の選手が口を開きました。

「私は日本人のスタッフから血豆を丁寧に処置してもらった。
   それだけで十分感謝しています。しかし、それだけでなく
   日本からシューズまで届けてくれた。僕は感謝の気持ちを
   込めてこのシューズを履いて走りたい」


この一言にアメリカのスタッフはもはや返す言葉は
ありませんでした。


そして翌日のレースを迎えるのです。
申し分のないシューズを履いた彼は号砲と共に元気よく
飛び出して行きました。


2
時間後・・・。
Iさんたち日本人スタッフは、信じられない光景を目にします。
真っ先に競技場に帰ってきた選手は、なんと彼だったからです。


そうです。
何人もの日本人がまるでタスキのようにつなぎ届けた
あのシューズで・・・。




ポルトガル代表のカルロス・ロペス。37才。
金メダルでした。
しかも2時間9分20秒のオリンピック新記録。


感動で震えるIさんら日本人スタッフ。涙がとまりません。
こんな驚くべき出来事が待っていたのです。


しかし、この話はここで終わりません。
ドラマはここから始まるのです。

カメラマンや記者に囲まれた歓喜の輪の中、
ロペス選手の様子がおかしい・・・。

しゃがみこんで何かをやっています。

そして、立ち上がったかと思うとゆっくりと走り始めました。



両手に何か持っています。スタンドのIさんからは
よく見えません。
次の瞬間、オーロラビジョンに映った映像に釘づけに
なりました。

そこには、両手にあのシューズを持って裸足でウイニングランを始めた、ロペス選手の姿が映し出されていたのです。
金のラインも光が反射せず しっかり見えています。


Iさんはロペス選手から聞かされました。

「42キロを走りにながらずっと考えていました。
   僕は金メダルをとるんだ。そしてこのシューズを手に持って
   ウイニングランする。そうすれば、これを届けてくれた人が
   世界のどこにいても、感謝の気持ちが伝えられるから。」

あの時、駄目元で日本支社に電話しなければ
襷(たすき)は海を越えてはいませんでした。

ロペス選手の言葉に、Iさんは男泣きに泣いたといいます。




同じ頃、日本ではあの副社長と女子社員が茫然としながら
実況を見つめていました。

「副社長……わたし……。」

「うん、うん……。」

クシャクシャの顔で泣きながら、二人とも言葉になりません。

この二人がいなければ襷(たすき)は海を越えてはいません
でした。

そしてもう一人。

あの名も知らぬ客室乗務員。

世界のどこかで、この光景を胸に刻んでくれたことでしょう

彼女がいなければ襷(たすき)は海を越えてはいませんでした。