日々の雑感、もしくは友人たちとの会話の一つです。

注意事項がいくつかありますので、もし本文を読まれる方がいらっしゃいましたら必ず読んでください。

①若造が、ただただ思っていることを書いているだけです。
 ご気分を害される可能性がありますので、それでも良いよ!という方以外は読まないことをお奨めします。

②ほぼ自分用の覚書で書いているつもりですので、そういうものなんだとご認識いただきたく思います。





では、以下本文になりますmm


結果がどうとか、実際どうだとかはまあ、あるだろうが、
実際どうであったとしても、そうあろうと思いながら在る人と、そうでない人が同じだとは俺は思えない。

実際、こうありたいというものになるのはとても難しい。
いや、人間の欲望が限りなく広がり得るものだとすれば、それは不可能事であるといえるかもしれないが…

閑話休題

それはとても難しいことであり、現実でそうあろうとするには、他人とか、自意識とか、環境とか…とにかく壁が多く、また将来自分がそうあるために今の自分がそう在れない、といったことも多々ある。
では、そうありたいと思い続けながらそう在れない人と、無理だからと思いそれを放棄してそう在らない人…

現実的に見ればどちらも同じだ。実際出来てない。
更に精神的、運的に強い人に言わせれば、甘いだのなんだの言って前者を切り捨てる人もいるかもしれない。


でも、そうあろうと思いながら在れない人と、そうあろうと思わずにそう在らない人・・・
どちらも、誰もが持っている側面であり、だからこそ、どちらも尊敬に値するんだと思う。


目指すゴールを変更するのにも勇気がいる。勇気とは恐怖に立ち向かうことであるから、先の例に出した後者の方も、立派な勇気を持ち合わせた素晴らしい人だ。
ヘレン・ケラー曰く

「一つのドアが閉まると別のドアが開く
 しかし、私達たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので
 私たちのために新しいドアがすでに開いていることに気付かない」

彼女の言葉だと思うと、説得力あるなぁ・・・w
とまあ、ゴールを諦めて違う目標を選びとらなければいけない時もある。
それは物凄く怖いことだろうと思う。
だから、それが出来る人は本当に勇気を持った人なのではないだろうか。


では、前者はどうだろうか?
後者がゴールの変更によって勇気を示したならば、前者はその過程を変更することで勇気を示す。
山田ズーニーさんのことば

「あきらめる、というのは、その道を通ってゴールを目指すのが不可能と判断した時に、
 {その道を通る}のを諦めるのであって、ゴールをあきらめるのでは決してない
 あきらめてもいいんだ、ゴールにさえたどりつければ。」

まさにその通りだと思う。
というか、この二人のこの言葉を並べると、語りつくせないくらい色々な解釈ができそうだw
ここでは一方面での語りにとどめるがw


さらに言えば、自分には無理かもしれないとおもいつつ、そうあろうと思い続ける人の強さは並大抵ではない。結果出来なかったとしても、私はその人を尊敬する。
それに、そんな人は、結果同じであっても、自分はそう思ってない人と同じなんだとは思って欲しくない。人それぞれ思い定める事柄は違うが、何かを思い定めた人は、定めなかった時の自分とは間違いなく違った結果をもたらしている。それが目標とは違う、ほんの小さなコトだったとしても。

困っている人を助ける、という目標を掲げたとする。
周りの目が恥ずかしくて、見て見ぬふりを何回もした?
いいじゃん!

その人がそう在りたいと常に思えていたのなら、例えば駅の階段でお年寄りが困っている時、そこに自分しかいなかったら・・・
あなたは声をかけたんじゃないですか?
たしかにほとんどできなかったかもしれないけど、ちゃーんと結果は出てる。

そう思わなかった自分は、気にも留めなかったかもしれない。

それに、無意識に出来ることは人によって違うし、思い定める事柄もバラバラだ。
それなら、全員目標は違っていいし、もし自分がそれを出来なかったことを悔やむ必要は全くない。
また、他人にそれを強要するのはもってのほか。

ああ、この人は他に何かやろうとしてることがあるんだ・・・で大体はいいんじゃない?w
ま、度が過ぎる人はいますがねw

何も思い定めない(目標がない)人なんか居やしない。無意識下でも、何かしらあると思うことにしている。

だからこそ、自分はこう思います。


自分がどう在りたいのか忘れないことほど、難しいことはない。