幼稚園、小学2年生までは「金持ちのお坊っちゃまコース」で一人っ子でした。

採寸してオーダーメイドで服を作って、「右手、左手、座って、右足、左足、いまボタンを留めますからからね」という、、、、。

ところが、NHKで【ひとりでできるもん!】を見て以来は、オーダーメイドの採寸を嫌がる、自分でボタンを留めるもん!と言い出す(「留める」を平仮名で書く幼稚園児のくせに)、靴下と悪戦苦闘して後ろ向きにコケる、


などなど。


あのままで成人していたら、「やくたたずの金持ちの孫」扱いだったと思う。

ただまあ、小学3年生あたりから、切符を買ってひとりで西武・東武百貨店に切手や銀ヤンマのヤゴとかを買いに行っていました。

さぞかし心配したと思う。

しかも、八朔神社(柑橘類のハッサクな)の地主の湿地帯を安く買って、グリューネキンダーハイトゥを大規模工事で団地をドッカンドッカン建てたので、地主さんとは揉めていて、

仕返しにグリューネハイツのガキを連れ去り手足を切断、縫合して内緒の見世物小屋で見世物にされていました。

これは↑サーカスの少女より悪質ですね。

後に手塚先生が「ピノ子」として漫画になりました。

松代や松本の記憶も少しはあります。

でも、、「全てはグリーンハイツから始まった。」と云うような感覚です。

ベランダから42号棟の工事現場を眺めて、永久凍結土に杭を打ち込む騒音があるのが普通な生活で、


保土ヶ谷で一番高いビルディングは保土ヶ谷ナンブ小学校の音楽室です!


みたいな。


ただまあ、地主さんらは自衛隊に御願いして小学校上空が航空自衛隊機の演習旋回コースに自動的になっていたので、

小学校は、「窓を二重にして授業に集中させる」とかをしていました。

カラーテレビは高価でしたが、安価で買える店があって(大規模スパー的なダイハツマーク)、

全教室にカラーTVがあり、校内放送を何らかのネットワークで、例えば生徒会長への立候補した生徒の演説とか、開票率の速報とか、希に校長から臨時速報とか、


ハイハイ、今日はこの辺で、




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