鉄道模型の項、今回は関水金属製(現・KATOブランド)二代目EF65形で、1回目のマイナーチェンジを受けた、1971年に発売された物件です。

関水金属初の電気機関車は、交流機のEF70形が1967年に登場。まだまだNゲージが普及するか否か暗中模索の時代に、人気も全国区では無かったEF70形をモデル化するとは不思議な話ですが、恐らく派手な赤い機関車で、小さなNゲージでは目立つ事を第一に考えたのかも知れません。一方で牽引される既存の客車は、古過ぎるオハ30形シリーズしか無く、そこで当時の花形である20系ブルートレインを新規に作りました。

しかし当時はまだブルートレインを牽いていなかったEF70形に、模型としても違和感を感じたのか、関水金属では赤いEF70形を何と青に仕様変更して発売しました。後になって考えてみれば、青い仕様が発売された翌年、1968年10月に実施された所謂『国鉄ヨン・サン・トウ 白紙ダイヤ改正』で、20系客車による寝台特急日本海をEF70形が牽く事になり、模型も特に青に仕様変更しなくても済んだと言う結果になりました。そして1969年にEF65形が製品化され、青いEF70形は早々に廃盤となり、現在では初期の貴重な仕様として、かなり高値で取引され珍重されています。

さて本題のEF65形ですが、こちらは最初から20系を牽引する為に作られた製品で、ナンバーも特急用の500番台がモールドされています。ボディの出来も当時としては良く出来たもので、フロントやサイドのモニタ窓周りなど、同時期のHOゲージよりもシャープな感覚です。塗装技術は現在と比べ物になりませんが、そこは古くても一流メーカーの製品で、塗り分け部分の滲みも最小限に抑えられています。この初期のモデルはボディだけがEF65形で、下回りはEF70形の流用でした。台車は無論フロントのスカートもEF70形のままで、現在では決して通用しないディテールでした。まだヘッドライトの点灯も無く、単に走らせて楽しむ模型です。当時は現在の様な道床付きのレールも無く、畳の上やテーブルにN式レールを敷き、不安定で過酷な状況下でも走らせる事になる為、台車にスカートが直接付いています。よってカーブに差し掛かると、スカートも一緒に左右に振る動作となります。

この個体は10年程前に私がレストレーションを施した物で、当時の様子は『只今製作中 レストア編』に記してあるので、よろしければ参照して下さい。
元はフリマで他の客車や貨車と共に、一山300円で売られていた物で、購入当初は荒れた状態でした。足りないパーツや破損した部分は、手持ちのストックや、ネットオークションにて数百円で落札した部品取りで埋め合わせ、現役復帰させました。
なお、塗装や基本的な仕様には手を付けず、9割方原型に忠実にレストレーション作業を施しました。

で、何故ここまでして、この模型を復活させたかったと言うと、当鉄道の第2号機関車だったからです。本当の第2号機は、第1号機のトミーナインスケールのED75形と共にこの世に無く、このモデルを復活させた少し前、第1号機を再入手した事をきっかけに第2号機も再び手にし、第1号機と並べて永久保存する計画を立て、早々に実現したものです。

今では殆どレイアウト上を走らす事は無く、静態保存状態ですが、いつでも見られる場所に展示し、Nゲージ鉄道模型が今のように高価になる以前の、大らかで楽しく優しいホビーだったあの頃を懐かしんで、遠い目で眺めています。

1971年発売 発売当時価格 3.000円