今回の鉄道模型の項は、ちょっと変わったスタイルを持つ蒸気機関車、天賞堂製の国鉄C55形・流線型のHOゲージのモデルです。

1935年前後、世界的に流線型が流行し、乗り物の世界でも各ジャンルで流線型が採り入れられ、いかにも速く走る事が出来るかの様な、空気抵抗が少なく見える、丸味を帯びたスタイルが続々と現れました。最高速度など全く関係のない時代の自動車や、出して40km/h程度の路面電車にまで流線型化の波が押し寄せ、もう何でもかんでも流線型にすれば『速い!』みたいな感覚だったそうです。

そんな中、当時の日本で一般的に一番速い乗り物と言えば鉄道車両で、花形の特急用機関車が流線型化に選ばれ、先ずはC53形を1両流線型に改造、そして当時量産中だったC55形が流線型としても量産され、二次量産型のうち21両が流線型として登場しました。更に電気機関車のEF55形、急行電車のモハ52形、気動車のキハ43000形も流線型で登場、鉄道省は流線型に相当力を入れていました。

C55形の流線型21両は、鉄道省のPRを兼ねて全国に少数づつ配置され、物珍しさから人目を引く存在となり、また当時の子供向け雑誌に度々登場し、スタイルだけで流行に乗った、話題性に富んた機関車として、一般にも知られる事になりました。

しかし一番の売りである、流線型のカバー類が整備点検上のネックとなり、整備性の悪さで現場からは嫌われてしまい、時速100km/h程度では流線型の効果は少なく、更に第二次世界大戦の戦況が悪化し、酷使による点検整備が頻繁になると、流線型カバーが致命的に邪魔となり、徐々に流線型のカバーが外され、まるで食べかけの焼魚の様な哀れな姿となってしまいました。結局、第二次世界大戦後にカバーは全て撤去され、普通のC55形一次型に近い外観に落ち着きました。

C55形自体は、国鉄の蒸気機関車の定期運用が終了するまで使用され、数両の保存機も現存していますが、流線型出身のC55形は残念ながら1両も存在してません。

さて天賞堂のC55形流線型ですが、意外な事に一般形より発売はずっと早く、1975年に早々と登場しています。因みに一般形は1981年に発売で、この頃になると天賞堂の鉄道模型は素晴らしい仕上がりから、最高級品としての地位を獲得していました。流線型はカバーさえきちんとイメージ通りに作れば、細かなディテールを再現する必要は無い為、比較的簡単にモデル化出来るのですが、そこは天賞堂の事、手抜きは無く完璧にスケールダウンしています。別パーツにすべき部分はきちんとパーツを起こし、また走行性能の為にディテールを犠牲にする事もなく、天賞堂らしい面目を保ち製品を構築しています。

この個体は伯父から引き継いだ物件で、伯父は1976年に購入、私の手元には2011年にやって来ましたが、箱に入れたままで保管していた為に、養生スポンジの酸化によりボディに溶着し、かなり酷い状態でした。それを見たいつもお世話になっている先輩が『これは塗り直さないと値打ちが無い!』と、新品の様に再塗装してくれました。

先輩には本当に頭の下がる思いで、伯父の思いの詰まった鉄道模型を、完璧な姿にタイムスリップさせてくれた事に感謝する事しきりで、改めてお礼を申し上げる次第です。

1975年発売 発売当時価格 35.500円