伯父が残した遺作の中から、1969年晩夏に撮影された大阪市交通局のトロリーバスの写真です
伯父はバスには興味は無かったのですが、トロリーバスも無軌条電車という電車の仲間と言う判断からか
廃止直前の姿をほんの一部でしたが、写真として残してくれていました
私自身も、あべの橋から乗車した覚えが鮮明に残っているので、これらの記録は懐かしく
これら撮影された路線に、伯父宅の最寄の停留所まで乗車していたので、正に私の記憶に限りなく近く
貴重な姿を残してくれた伯父に、今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです
大阪市のトロリーバスは1953年9月に大阪駅前~神崎橋が開通、市電と縁遠かった地域を主に結び
その例に従って、次に市内東南部を結ぶ、守口~森小路~緑橋~今里が開通、緑橋で都心への市電と結合し
トロリーバスの乗客を市電で市内に送り込む段取りが付けられ、新しい市内交通の担い手として期待されました
その後も市電の補完路線として、着々と路線を延伸してゆきましたが、思ったより急激な速さで
大阪市内における自動車の台数が増加した為、路面交通を積極的に増やす事は得策でないとされ
1962年7月開通の田島4丁目~杭全町の開通が最後の延伸となり、結果、大阪市のトロリーバスについては
市内北部から東南部地域を『ヨ』の字の路線を形成、即ち梅田とあべの橋を大きく東寄りで直結するかたちとなり
四ツ橋、心斎橋、上本町二、玉造等で市電や地下鉄との乗り換えの利便性も良かった事から
1963年度には総営業路線37.9kmで、一日18万人を輸送しピークを迎える事になります
建設費も市電に比べると安く、短期間の工事で開通出来、静かで機動性に富んでいたトロリーバスですが
架線という束縛から逃れられないのは市電と同様で、自動車の増加により定時運行が確保出来なくなり
1965年頃から、開通予定の地下鉄の路線と平行する、トロリーバス路線は廃止の方向へ向かい
市電のあとを追うように、1970年6月に全廃されてしまいました
私が乗車したトロリーバスは、あべの橋から今里を結んでいた4号系統と、杭全町から守口車庫を結んでいた
特3号系統で、現在は市バス12号系統と35号系統が、おおよそトレースしています
これらの写真は今里ロータリーと呼ばれている交差点で撮影されたもので、既にロータリーは消えており
被写体のトロリーバスは主に200型が写っていますが、当時の資料があまりにも少ない為、詳細は不明で
これらの車体は、手元の資料にある、より新しい300型に近い近代的なスタイルを持っています
それにしても、伯父は貴重なトロリーバスの記録を残してくれたものです
恐らく、シャッターを切った瞬間は、単なる地元の記録としか思いつかなかったと感じますが
こうして40数年後の21世紀になって、限りなく価値のある歴史的資料となって、伯父の亡き後も残っています
今後も伯父の意思を継いで、貴重な記録を公開してゆきたいと思います