


大きく分けて1号機から21号機までの一次形、22号機から81号機までの二次形に区分されますが
二次形の22号機から29号機は、1968年に高速列車用の1000番台に改造されています
電化開業当初の北陸本線の輸送計画はED74形(http://blogs.yahoo.co.jp/k163sambar360/28995738.html)と
役割を分けて、北陸トンネル含む勾配線を当機を使用し、平坦区間をED74形を当てる予定でしたが
結局全区間を当機でこなす計画に変更となり、大量に増備される事になりました
1968年10月の所謂『ヨン・サン・トウ ダイヤ改正』により、寝台特急『日本海』が誕生し
牽引用に1000番台が登場、その時点でED74形は九州大分に転属となり、北陸本線の王者として活躍
当機にとって一番華やかしい時代であったと言え、貨物列車からブルートレイン牽引まで、大活躍をしました
しかし1974年に湖西線が開通すると、それまで富山から先、直流の信越本線とのセクションで使用されていた
交直流両用機関車EF81形(http://blogs.yahoo.co.jp/k163sambar360/29926068.html)が
富山から西にも進出、湖西線を経由して大阪方面へも乗り入れる事になり、寝台特急『日本海』の牽引を含め
直通列車をEF81形に譲るかたちとなり、この頃から当機の崩落が始まったと言えます
主にローカル列車や貨物列車の牽引が主な仕事となり、また多くの機体が休車となったのもこの頃で
さらに1980年には一部が九州へ転属となり、それは先に九州に渡ったED74形の置き換えだったという
何とも歴史のいたずらのような出来事でしたが、軸重等の関係から限定運用を強いれられ
現場では持余し気味だったと言い、たいした活躍をしないまま、JR化を待たずして北陸に残った仲間とともに
全車廃車となり、現在では静態保存の1001号機と57号機が現存しているのみです
モデルは日本のNゲージ初の、量産電気機関車として1967年に初回製品が発売となりましたが
何度もマイナーチェンジを繰り返し、そのバリエーションは多岐に及んでいます
初期製品には、何とブルーカラーも存在し、既に発売されていた20系ブルートレインに合わしたもので
NゲージのEF70形は、後に実車が『日本海』を牽引する以前に、ブルートレインを引っ張っていました
この個体は1979年頃に購入した四代目製品で、後期の製品としては一番多く生産されたモデルで
現在に至るまで、当鉄道で貨物列車からローカル列車の牽引に活躍を続けてきました
実車を見た直後に購入した記憶があり、やはり実物を見たり乗ったりした車両は親近感がわくものです
KATOのEF70形は二次形をモデル化していますが、近年マイクロエースから一次形も登場し
往年の田村駅付近の様子もED70形(http://blogs.yahoo.co.jp/k163sambar360/29832563.html)や
DD50形(http://blogs.yahoo.co.jp/k163sambar360/29373376.html)とともに再現出来るようになりました
1978年発売 発売当時価格4,500円