


町が殆ど壊滅状態になった女川町は、いかにも東北らしい、のどかな港町でした
大阪に住む私には全くと言ってもよい程、縁もゆかりも無さそうな町ですが
この町の名前だけは、小学生の頃からよく存じておりました
私がデビュー以来崇拝する俳優・中村雅俊氏の故郷であり、その為大阪から程遠いこの町の事を知っていたのです
氏はこの町で生まれ育ち、女川の町をこよなく愛されていたのは言うまでもありません
歌手としての活躍は、誰もが知るところなので、ここでは詳しく述べませんが
氏は幼少の頃からビートルズに憧れ、学生時代から自ら作詞作曲し、趣味としての作品も多数作ったそうです
1976年に発売された『さようならの吸殻』というアルバムは、氏が主に作詩作曲した
楽曲で飾られているのですが、それらの曲はそういった素人だった、女川時代に作ったものだと言われます
その中でも『私の町』という曲は、穏やかな港町・女川の町をそのまま唄ったもので
瞼を閉じると、その町並みが浮かんでくるようです
その女川の町が、殆ど壊滅してしまったのだから、氏の心中を察するところであり
私としても、小学生の頃『オレは中村雅俊の分身だ!』(大爆)と思っていたくらいなので
人事とは思えず、女川の町の被害状況を見ると、冗談抜きで本当に悲しいです
氏のエッセイ『一枚の片道切符』(1976年刊)にも、子供の頃の女川の町での想い出も語られています
被災者の方々には改めて心からお見舞いを申し上げるととともに、届かないであろうと思いますが
中村雅俊さん、そして故郷・女川の町にも、お見舞い申し上げます