1961年に登場しました
当時、東海道線の主力機関車であった
EF58型電気機関車の後継機として計画され
構造的にもそれの正常進化的に設計されました
先発していたEF60型を基本に
客車用の暖房源を搭載し
駆動部を高速用に改良したものでした
しかしこの機関車の悲運は
この設計時点で決まっていました
将来、客車列車の電車化が見込まれた為
少しの改造で貨物列車用に改造出来るように
考えられていました
実際、登場直後は、新幹線開業まで
西の名門機関区と言われ
特急牽引機関車の多くが所属した
宮原機関区に配属され
各種急行や一時はブルートレインも牽引しました
しかし、優等列車の電車化が
当局の予想より早く進み
更に東海道新幹線の開業のメドもつき
EF61型の増備は18両で終了しました
その後、1968年10月の白紙ダイヤ改正で
全車、広島機関区に移動し
客車用の暖房装置を持つことから
主に荷物列車の牽引に従事することになります
また山陽本線の峠の難所
「瀬野八」で補機としても使用されました
一時、その補機専用に改造する案がでましたが
それはEF60型改造の「EF61 200番台」として
登場する事になります
「EF61 100番台」が無いのは
EF61型を改造し、そこに当てる為に飛ばしておいたからです
その後も荷物列車や貨物列車の牽引に使用され
JR化を待たずして1985年に全車引退しました
現在EF614のカットされた車体が広島で保存されています
私が初めてこのEF61型を見たのは
小学校の低学年の時
冬の姫路駅でした
暖房用の蒸気の白い湯気を噴出しながら
荷物列車を牽引して停車していました
いつも見るEF60や65とは違う
妙にスマートな車体に
「カッコええ!」と感動し
正面もEF60と同じはずなのに
何か幾分優しさを感じるように思えました
後で知ったのですが
客車暖房用のボイラーを搭載する為
EF60型より実際に幾分長いのです
当機関区のEF61型は
2001年に、もちろん発売直後に購入しました
マイクロエースとしては
比較的初期の製品で
不良品も多く
私も2回返品交換しました
特にパンタグラフが弱く
上昇させただけで崩壊しました
また、中間台車が外れやすく
少し触るだけで脱落する物もありました
2007年に改良製品がでましたが
青色車体の製品はヘットライトが最終形態の「ブタ鼻」だった為
購入は見送りました
いづれにせよ
今は落ち着いた個体があるので安心ですが
とにかく安定するまでお騒がせだった
一両です
尚、実車デビュー当時の「ぶどう色2号」塗装も所属しています