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kame-ing(どうしてそんなに・・・)

60歳過ぎて歩みをステップダウン あっという間の人生だったがゆえに残りの人生はのろくあせらず「この道寄り道回り道」です。

「笛吹川河川敷・菜の花プロジェクト」
たった一人のボランティアからスタートして1年です。その合間にも福島への「かき氷おじさん」「餅つき隊」ももちろん3・11にも福島へ・・

で・・菜の花はというと・・・残念なことに思うように咲きそうにもありません。1ha(約3000坪)に9万本の予定でしたが1万歩足らずです・汗

きれいな黄色いジュウタンどころじゃなくとにかく今年の分の種を確保するのに精一杯という感じです・涙 国交省寡占事務所・笛吹市役所も口は出すけど、あとは自己責任です。

3年後を目標にしていますが・・・かなりの体力がいることを知り・・農家の人の苦労を生で感じました。

「やるしかない!」のです・・・「花は咲く」の唱のように64歳の老人は「私は何を残しただろう?」と歌いながら今年も種をまきます。

写真は長野県飯山市千曲川の河川敷です・・・5年前に見たときの感動が「菜の花プロジェクト」のきっかけです。飯山2
飯山1
仮設住宅に「もちつき隊」で交流しているいわき市鬼越仮設住宅のみなさんが山梨の雪害のお見舞いとして約10万円集めてくれました。お手紙を出してたかたからの連絡で市長さんへ直接郵送してくれました。助けてもらうばかりでこんなときに少しでもお返しが出来ればという気持ちに胸が熱くなりました。
震災から3年・・・陸前高田市から南へ、気仙沼・南三陸・女川・石巻・そして南相馬市・いわき市・・・事前に手紙を送った人、突然の訪問の家族・・・これかも長くお付き合いをしていこうと思ってる皆さんに会ってきました。

語り始めて言葉がつまるマスターに目をそらさずに一緒に涙しました。
突然の仮設住宅訪問に74歳のおじいちゃんは飛びついてきて号泣しいつまでも抱きついたままでした。
3年間いつも来るたびきてくれてありがとう!とペコンと頭を下げる車の修理工場のご主人。たった一度修理しただけで・・・(30km圏内で当時たった一軒?だけあった修理工場)
それから今度の山梨の雪害にボランティアに来てくれた大熊町の家族の家にも泊まってきました。

3年目を機会に共通して皆さんに伝えたこと・・・それはもう「ボランティアさん」と「被災者さん」はやめて遠いところから友人が訪ねてくる、そしてお酒を飲む、語り明かす、泣き笑う・・普通に親しい関係で続けていきましょう!新しい親戚が増えたことにしてくださいね!すこしまた心の距離が接近した気がします。

5年、10年・・・自分のできる力量にちょっとだけ背伸びして交流を続けていこうと思います。
画像は富岡町の現在です・まだ駅のホームには車が放置されたまま、海岸ではやっと汚染瓦礫が取り除かれています。