心臓と脾臓にできた腫瘍により余命約1ヶ月と宣告されながらも、そんな現実を一切感じさせることなく元気いっぱいな愛犬コロ。

 

しかし、いずれ心臓機能が徐々に弱まり停止するか、もしくは脾臓の破裂が先か。

どちらにしろ一定期間苦しむことになる。その時は必ず訪れる。どうする。

 

一日でも長く生きられるための治療をしてもらいたい ... これが日本人に多い考え方。

 

出来る限りの治療をするとはいえ苦しむ日々が続くことに変わりはない。すなわち虐待である。 ... これが欧米人の考え方。

 

かかりつけの動物病院の院長と話し合い、ウチら夫婦は後者の”安楽死”を選んだ。愛するが故の選択だった。

 

 

その日は3ヶ月後に訪れた。

呼吸困難に陥って一晩中苦しみ、翌朝もそれは変わらず、怖れていた”苦しみ”とはこのことかと察した私はすぐに病院へ連れて行った。

 

安楽死させるには睡眠薬を注射した後に塩化カリウムを注入する。5分もしないうちに安らかに逝くのだという。

 

状況を理解した院長は看護師達に速やかに準備するよう指示をし、ウチらはその間に診療室で別の医師からいろいろな説明を受け、誓約書にサインしようとしたその時、コロを抱いていた妻が「えっ!?」と小さく叫んだ。コロがぴくっと体を震わせた直後にぐたっと力が抜けて目を閉じたという。びっくりした医師は聴診器を当てたり瞳孔を確認したが「・・・ 」。コロが永眠したことを目で伝えた。4月29日 午前10時。

 

11歳と短い生涯だったが、愛し愛されたコロが妻の腕の中で永眠したのは幸いだった。

 

4年前のQちゃんの時もそうだったが、翌日病院から花が届いた。

 

こういう心配りをする動物病院って少ないんじゃないのかな。

 

半開きの目を閉じさせ、便が漏れ出ないような処置をし、体をきれいに拭いてくれ、しかも安楽死処置前に亡くなったということで、料金は再診料500円のみ。

 

酸素吸入を要する急患がいた院長も、コロの最期に15分ほど時間を割いてくれ、帰りは外で待機していた2人の看護師に見送られた。

 

丁寧な診療・ごくごく平均的な料金・飼い主の心情に寄り添った対応など文句のつけようがない良心的な病院なのだが、ゆえにその混雑ぶりには辟易するw 何しろ開院1時間前から約10台分の駐車場はいっぱい。ここに移住した5年前からお世話になっているが、年々待ち時間が長くなっている。市内にはそこそこ動物病院数はあるのだが、やはり評判が評判を呼んで混む病院とそうでない病院との差がはっきり出ているようだ。

 

診てもらう都度、院長ともう一人の医師に苦情を申すのだが、本当に申し訳なさそうに謝るのでそれ以上何も言えない。

 

話を聞くと、どうやら田舎共通の医師不足にあるらしい。田舎の動物病院に勤務するということはそこに移住しなければならないハードルが生じる。それゆえここでは都会の動物病院より高待遇で募集し続けているものの、なかなか目を向けてもらえないらしい。

 

本題に戻る。

 

コロが死んだ翌日、急遽お隣の埼玉から駆け付けた長男と妻と私とで、毛布に包んだ亡骸を代わる代わるに抱っこしていつもの散歩コースを一周した。予報が外れて降り止まないのは涙雨か。その後、火葬炉を備えた車(ハイエース)が自宅に到着。90分後、お骨が壺に収められ、火葬車が帰ると、空は嘘のように晴れ渡った。

 

 

コロを我が家に迎えたのは11年前の5月18日。

その日に合わせて一昨日、庭のキンモクセイの樹の下に、初代愛犬ブン、2代目Qちゃん、そしてコロを一緒に埋葬した。

 

猛暑が続く夏、

庭に出ると真っ先にキンモクセイの樹の下に逃げ込むQちゃんとコロだった。

 

コロがいなくなって、22年間いつもそばに愛犬がいた日々は終わった。

 

ペットロスの悲しみは深いが涙はもう涸れた。会話の中に度々コロの思い出話が入り込むけれど、まあ、いいさ。そうこうしながら愛犬のいない暮らしに慣れるしかない。

 

悲しみを引きずるのではなく、楽しかった瞬間や日々を引きずっていきたいと思う老夫婦なのである。

 

コロがいなくなって散歩することもなくなった妻だが、数日前から私と一緒ではなく(歩くペースが違い過ぎるので...)、1日5,000歩以上の早朝ウォーキングを始めた。

うんち処理用のトイレットペーパーやビニール袋を入れた小さなお散歩バッグに、Qちゃんとコロのハーネスも入れて。

 

さぁ、元気出していこう!!