履歴書の最後のほうに ↑と書いとけばすんなり通る時代はとっくに終わっていて、今時は面接も一筋縄ではいかぬようでありふれた模範解答らしきは逆効果らしい。まことに面倒臭い。

 

大谷翔平や佐々木麟太郎のように将来の目標やそれに向けての計画など露ほども考えたことはなかったし、若干あったとしてもそれを理路整然と人に話せる回路も備わっていない。

 

 

樺太生まれで碌に小学校にも通えず、2番目の子(私)を産んだ数年後には交通事故で夫を亡くし、子育てと仕事の合間に頑張って覚えたわずかな漢字しか書けなかった母。

おら(自分)は蟻みたいにコツコツ働ぐだげだ ...   雪深い津軽。薪ストーブで手を暖めながら母がポツンとつぶやいた一言が私の生涯の 座右の銘。

 

だから、就いた仕事には真面目にコツコツと一生懸命取り組んだ。その甲斐あってか縁あって入社した東京の大きな会社で後に管理職に昇格した際、母はただ静かにうなずいた。

 

私は何事にも前向きで明るい性格なんかではない。本当は何かあるとすぐ卑屈になる。それが出来るだけ表に出ないように気を付けているつもりだが、心の底に貼り付いた暗い影は居座ったまま。

 

 

 

小学校に入る前から鉄人28号は大人気だった。

 

近所に、よそに比べて裕福な暮らしぶりの、営林局に勤務する人たちが住む官舎があった。小学1年生の時、その官舎に住む同級生から遊びにおいでと誘われて行ったことがある。まわりでは両親が働いていて鍵っ子が当たり前だったが、その子の家にはいつも母親がいた。

 

ニコニコしながら母親はジュースとお菓子を出してくれた。普段の生活の中ではほとんど目にしたことがないものに私は大いに戸惑った。

しばらくすると同級生と中学生位の兄が隣の部屋から鉄人28号のおもちゃを持ってきた。電池で手を振りながら歩く大きなものだった。私が「すごいなーカッコいいなー」と感激していたら、母親が「こう書くんだよ」と言いながら紙に「鉄人28号」と書いた。

 

 正しくは ↑       その母親が書いたのは ↑

 

私は漫画本で見て知っていたのでその母親が書いた「号」を「違うよ」と言った。

 

その途端 ... 母親が豹変した。

 

アンタんとこお父さんいないんだって?

貧乏だからこういうお菓子は食べたことないでしょ!

こんな子には見せるのも勿体ないから(鉄人28号を)もうしまいなさい!と同級生に命令し、兄までが私を憎々しげに睨みつけた。

 

私は何故そんなに怒っているのか理解出来ないまま半ば追い出されるように家を出た。なにしろ小学1年生なのだ。ともかく恐かった。

 

だが何かが体のどこかに刺さったまま少年時代を過ごし、大人になってやっとその棘の正体が分かってきた。遅すぎw

 

たしかに貧乏人、片親、母子家庭 ... なんだが。

母に学問はないが、コツコツ働き、働き、働き、それでも力仕事から帰って「疲れたー」の言葉は聞いたことがない。すぐに晩ご飯の準備をし、食べ終われば茶碗を洗い、翌日は早朝に起きて薪ストーブに火を入れ、朝ご飯を用意して仕事に出掛ける。そんな母の背中を見て育った。ぬくぬくと専業主婦をしている同級生の母親に「貧乏人呼ばわりされた、母を見下された」ことへの屈辱感が混じった怒り ... それが棘の正体。

 

当たり前だが、棘が刺さったまま過ごしてきた不幸な人生だなんて全く思ってはいない。そんなもん二つや三つ誰にもある。

 

80歳で逝った母は生きていれば今年91。

 

貧しいながらも高校へ行かせてくれた。

おかげで母より多くの漢字を書けるし、母が苦手だった算数も出来る。

 

毎朝お線香をあげる際「母さん、ありがとう」とつぶやく。

 

 

長く厳しい冬と生きる津軽の人にとって桜の開花は言葉にならないほど心安らぐ。私も母を連れてよく弘前公園の桜を観に行ったものだ。

 

庭の河津桜が咲いた。木瓜もあと少しで鮮やかな花を咲かせる。畑の土も陽の光を受けて喜んでいるような気がする。

 

畑の表面を覆ったり混ぜて使うマルチング資材として籾殻が売られているが、籾殻燻炭はより効果が高く、籾殻灰はさらに良い。

近所のコメ農家さんが籾殻灰を「いくらでも持ってって」と言ってくれたので、ねこ(一輪車)で12往復していっぱい頂戴した。

↓ この小さな畑には少々多すぎる量に見えるが混ぜるとちょうど良い。写真は2月3日のもの。

 

さあ、今年は何を作ろうか。

 

 

 

いつものことだが、

何を言いたいのかよく分からないブログになってしまった ...