オーディオとは「錯覚を楽しむ趣味」として付き合ってきた。だから誰かがケーブルを交換したら音が激変したと、まるで天地がひっくり返ったような驚き方をしたとしても「オーディオを楽しんでいるなー」と同好の士として共に喜ぶ。本当は、変わった ... ような気がする ... 程度だろうなと疑いながらw

心理効果であれ何であれ、脳が「心地良し」と判断すれば、それは自分にとっての良い音なんだし、暮らしに潤いが加わったんだから喜ばしいことだ。

 

プレーヤー、アンプ、ケーブル、スピーカー、あるいはインシュレーターを替えたら音の締まりが良くなった、立体感や横の広がりが増した ... 等々。本人がそう感じるならそれは大いに結構なこと。

 

アンプの違いで例えば中低音の厚みが増した(SONY TA-F333ESX)とか、出音の力強さにびっくりした(ONKYO A-933)とか、ある中華製安価フォノカートリッジのあまりのステレオ感の無さは爺さんの私にでもはっきり分かった等々の経験はある。

 

で、スピーカーの存在をまるで感じさせない音空間があるとかないとか。

 

あまり意識したことはないが「ロジャー・ウォーターズ/死滅遊戯」を聴いて、こういうことかぁ、なるほどぉと思った。

 

*「ファイナル・カット」で Nips、「死滅遊戯」でも Japs と日本人を強烈に侮蔑する彼だが、それと優れた作品とは別なので切り離して話を進める。

 

 

ピンク・フロイドの頭脳、ロジャー・ウォーターズのソロ3作目。やっぱり「原子心母」以降のフロイド作品はロジャーによるところがかなり大きかったんだなと再認識させられる。

 

相変わらず効果音の使い方が絶妙で「ザ・ウォール」を超えたと言っても過言ではなく、録音状態も抜群に良いという記憶があったので久しぶりにまた聴くことにした。

 

目の前で歌っているようなヴォーカルは「おふくろさん」の森進一みたいに唾が飛んできそう。息を吸いながら斧を振り上げ、思いっきり振り下ろして薪を割る音はまるで破壊音。終始重厚な雰囲気を醸し出す重~いベース音。力強く生々しい。

 

以上はCDプレーヤー PHILIPS DP950で聴いての感想だが、アンプとスピーカーは同じで今度は YAMAHA CDX-1050で聴いてみた。

 

違う ... 一聴して音の粒がなめらかなことにハッとした。

ちなみにRCAケーブルは、

PHILIPS DP950 ... OYAIDE ACROSS 750 V2 (2,080円/m)

YAMAHA CDX-1050 ... MOGAMI 2534 (200円/m)

ケーブルを入れ替えたらどう変わるのかは面倒臭いので未実施。

 

CDX-1050では、女性コーラスやストリングスが部屋の隅々まで広がり、馬車や車の通りすぎる音は左右のスピーカー間で移動するのではなくもっともっと距離が長い。遠くの牛の鳴き声はず~っと奥から聴こえ、猿が興奮している様子や爆発音の余韻、人の会話などは真横の壁から聴こえる。のように聴こえる ... なんてもんじゃない。えっ?と思わずそっちに顔を向けたほど。

 

CD950に比べて低音は弱いが、CDX-1050は終始緊張感と心地良さで効果音満載の72分38秒をあっという間に感じさせた。

 

これがスピーカーの存在を感じさせない音空間なのかと実感した。

 

しかし原音(レコードやCDに記録された情報)を引き出せる機器であっても、そもそも原音がいいものばかりではない。

 

ベースが右、ドラムが左なのはまだいいとしても、ヴォーカルが真ん中でないものがある。これは気になってとても聴きづらく落ち着かない。ステレオ感がまるで無くモノラル録音のようなのもある。一聴してヴォーカルと楽器の音量バランスが悪いもの、籠ってるなどの他に、音圧を 上げただけ、初回盤ではカッコ良かった肝心のギターが引っ込んでしまってる等のヘタッピなデジタルリマスターも少なくない。

 

目を瞑るとそこは映画館・コンサートホール、森の中 ... 目の前のスピーカーを感じさせない音空間、それは機器以上にソフト次第だなと思った「死滅遊戯」だった。