5年前、60歳の頃に健康診断で黄斑前膜症の疑いありと診断された。

 

焦点が合わず向うから歩いてくる人が二人に見えたり、車を運転していて道路左側に駐車している車を避けて通る際、かなり間を空けないと(ふくらんで通らないと)ぶつかるようで気になってはいたのだが。

 

その後しばらくして、右眼だけでは垂直方向(電柱など)がぐにゃぐにゃに曲がって見えることに愕然としたものの、特別に違和感や痛みがあるわけでもなかったし、ネット検索では手術しても100%元通りになる訳ではないとか、稀にではあるが自然に治ったという例も紹介されていたのでついついそのまま放置していた。

というか、病院へ行って重大な状態ですと宣言されるのが怖くて逃げていた。

 

振り返れば、痛い・怖い・恥ずかしい・を極力避けて生きてきた。

或る健康診断で。指定会場に集まった同じグループ企業の社員50人位がまず検査項目と手順の説明を受けた。そして「医師が指を肛門から直腸内に挿し込み・・・」と直腸検診の説明がなされた後に「この検査は受けないという方いらっしゃいますか」と言うので私はすかさず挙手した。約50人中1人だった。

 

そんな恥ずかしい検査を受けるくらいなら直腸がんで死んでも構わない。

そういう男なんですw

 

脱線してしまいました・・・

 

だけど、両眼では焦点が合わずぼやけて見えるだけでも右眼ではぐにゃぐにゃ・・・ということは、正常な左眼で見た信号を脳が「良きに計らって」くれているだけで、実は左眼に負担が掛かり続けているんじゃないだろうかとの素人考えが浮かんだりして・・

 

そうこうしているうちに水平方向(電線など)もぐにゃぐにゃに。

これはいかんと市内の眼科クリニックで診てもらったところ明確に黄斑前膜症と診断された。「これ以上悪くなりようがない少し手前くらいですかねぇ」というご親切な説明付き。で、何回か通院した後に大きな病院での手術を勧められ紹介状を書いてもらった。

 

そして鴨川市の大病院、亀田総合病院へ。

浅田次郎の小説「天国までの百マイル」はここが舞台だとかなんとか。

予約日当日、緊張度MAXだったがスタッフや医師たちの親切・フレンドリーさにはだいぶ救われた。

 

黄斑前膜症になった原因として何か悪い病気が潜んでいるのではないかどうかを調べ、それは無いことが分かった。次に、黄斑前膜症はほっといても失明する類ではないこと、手術しても100%回復する保証はないことを前提に、さあどうしましょうかという話し合いに。

 

手術ってちょちょっとレーザーかなんか当てるんですか?

 

いやいや、そうではないんですよ~

要するに、硝子帯手術といって角膜から3.5 mm離れた強膜に0.5mm程度の小さな孔を開け器具の出し入れの出入り口を設置し、黄斑部の網膜表面に張っている膜を細いピンセットで丁寧に剥離して除去する・・・のだそうだ。

 

目に針を刺すってことですか? 恐怖のあまり気絶する人はいませんか?

 

(笑って)いやいや、もちろん麻酔しますから痛みはありませんし、寝てしまった患者さんが「えっ もう終わったの?」ってこともあるんですよ。

 

とはいえ・・・

目に針を刺すのは絶対にイヤだ、怖すぎる。それに失明することはないというし・・・じゃあ、とりあえず手術しないってことで・・・

 

そうですかぁ。では、今後は掛かり付けの眼科さんで定期診察してもらいながら様子をみて、日常生活でさらに支障を来すようであれば、その時にまた手術するかしないかを話し合いましょう。

 

なにはともあれ「失明することはない」に大大大安堵した私。

 

縦だけでなく横もぐにゃぐにゃに見えるようになって以来飲んでいる目のサプリ(ルテイン)は全然効果がなくただの気休め・・だが飲んでいるw

 

車の運転は極力しないようにしているがテレビを見たり庭仕事したりの普段の生活では特に困る場面はない。趣味で時々やるジャンクオーディオ修理、例えばトランジスタや電解コンデンサ交換などの細かい作業はルーペ(めがね型&手持ち型)を使い分けしている。不便っちゃ不便だがもう慣れてしまった。

 

ウチのテレビは55型で字幕も大きいので見やすいが、これがギリギリかな。これより画面が小さいと厳しい。耳も聞こえづらくなってきたので、テレビにはアンプとオーディオ用スピーカーを繋げている。

 

一家の大黒柱として稼がにゃならん場合なら大抵のことは我慢するが、年金暮らしで寿命などたかが知れているのに手術までして云々などとは思わない。むしろこの歳まで大病せず健康に生きて来られたことと産んでくれた母親に感謝するのみ。両親は亡くなり子供達も30を過ぎ家庭をもって暮らしている。もういつ逝ったっていいのだ。だから、悪あがきせず目が見える内、耳が聞こえる内にいろんなことをささやかに楽しもうと思うこの頃だ。