四十九日法要を終えて | let go...自分の人生を生きる

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自分の中にある見えないものを解き放つー
let goというタイトルにはそんな意味があります。

30代に入り,自分の人生を生きたいと強く思うようになりました。
時々しか更新はしませんが,自分の思いの備忘録で。

先日,母の四十九日法要を終えました。

本当は1月4日なのですが,お寺さんも年内に終わらせておいた方がいいのではと言っていただけたので。

 

お天気はよかったのですが,めちゃくちゃ寒かったです…

でも無事に終えることができてよかった。

 

母が亡くなってから,実家によく戻ります。

(お供えとかもあったので)

今日は少し家の掃除をしました。

久しぶりにエアコンの掃除をしたのですが,大変だった~。

でも去年?おととしに母と共に大掃除をした記憶がよみがえってきました。

 

年末年始,私は必ず母と過ごしてきました。

だから必然的に年末年始の思い出には母がいます。

今も,テレビでアメトークとかしてますけど,母といつも見ていたな…

でもここ数年はあまりいい記憶はありません。母といるのが苦痛で早く帰りたかった。

今年は初めて母のいない年末年始です。これから一周忌までは,

「母のいない初めての○○」

ばかりなんだろうな。

今は,母がやっていたことをやってあげようと思っています。

例えば母はとても掃除好きでした。なので私が実家にいる時は毎回(いや…できる範囲でです)部屋の掃除機をかけるとか。

そうすることが母の供養になるのではと思っています。

 

母が亡くなって気が付いたこと。

 

供養は遺された者のためにあるんだろうなということ。

 

私であれば,できなかった親孝行をするために供養があるんだなと思いました。

 

母は頑張って生きた。

 

色んな壁にぶつかって,悩んでもがきながらも必死で生きたと思います。

 

アルコール依存症でお酒が体に入っているときは,よく「死にたい」と口にしていましたが,今実家を片づけていて感じるのは,母はもっと生きたかったんだろうなということ。

 

アルコール依存症以外にも糖尿病や高血圧など様々な病気を抱えていたのですが,病気治癒のための様々な本や薬が部屋に残されていました。

母が生きていたこと,生きようとしてくれていたことを感じるたびに涙が出ます。

そして,ここ数年の私の態度や言葉は母を傷つけていたんだなと痛感しています。

でも今も母が生きていたら,そんなことには気付かずに,相変わらず「うっとうしい」と感じながら過ごしていたんでしょうね…

失ってから,気付くことが多いのです。

 

でも,いつまでも泣いていたら母は天国で心配してしまいますね。それか私のことは恨んでいて,「今頃気付いたのか!」と怒っていますかね…

 

母の事だからどっちもあり得るなぁ…苦笑

 

でも今は母のことをうっとおしいなんて思っていません。

伝えたいのは感謝と謝罪の言葉。そして今まで頑張って生きたねって伝えたい。

 

今頃天国で大好きなお酒飲んで大好きなアイスとか食べてるかな。

おばぁちゃんと会って,じいちゃんの悪口でも言っているのかな…笑

何だっていいけど,とにかく幸せでいてください。

私はもう少し頑張るからね。

それで私がもうちょっと先で死んだら,天国で一緒にいっぱいお話ししよう。

 

今年もあと2日。

 

大切に大切に過ごす。

 

母が残したこの家で。母を感じながら。

 

ありがとう。ママ。