different
先日シャッターアイランドとゆう映画を始めて観ました。今更内容を説明するのもなんだかなんだかなって感じですが、簡単に説明しますと、主人公が同じ行いを繰り返してしまう話です。ちょっと簡単にまとめすぎましたが、主人公がある島で謎を突き詰めるために奮闘するんですが、主人公自身が過去のトラウマが原因で幻覚を見てしまってるんですね。主人公はそれが幻覚だと物語の後半に気づくんですが、それでも主人公は同じ事を繰り返す。
これは病です。ですが私がこの映画を見て思ったのは、流石にここまでの経験は無くても、周りと全く違う意見を自分は持っていて孤立してしまう事はあると思うんですね。そんな時に、俺はこれが好きだから(キラーン)。君の意見なんて関係ないよ。私はこう思ってるから(シャキーン)と主張を通せれば良いですが、毎回そんな選択が出来るとは限りません。自分が周りと何か違うとなった時、その違いが大きく分けて違うのか、それとも小さな集まりでの異なりなのか。私はそんな疑問を持ちました。
response
名前は忘れましたが、1年ほど前に奈良の美術館で有名な仏像の展示会が行われていたので足を運びました。仏教の知識なんてまったく無かったです。ただの興味本位で足を運びました。場内は同じような仏像がわんさかわんさか並べられていて、正直ものすごく眠たかったです。感想は、あ、全部一緒やん。です。ですがそれと同時にこうも思いました。仏像って何の為に作ったの?
この質問に明確に答えることは出来ませんが、これまた違う場所で別の日にたくさんの仏像を見かけた時、その仏像の説明文にこう書いてありました。
”この仏像達は病に犯された人を救う気持ちで作られた。そしてその行いが輪となりこれだけの仏像が作られた”私はこう思いました。今も昔も変わらんやん。本質は、何かの行いによって良い結果が得られたのでその行為を続けた。そしてそれを見てやってみようとゆう人が現れ同じ事をした。結果、これだけの輪となった。これって仏像に限った事では無く、同じような経験が誰にでもあると思います。そしてそれを繰り返し、なにか違うなと思ったら少し手を加えて、失敗して。失敗して。そうやって生きてきたんじゃないでしょうか。人類は。
そうゆう生物だから
シャッターアイランドを見て私は人それぞれの違いに疑問を持ちました。生きていると、私と貴方との違いに目を向けがちです。その輪は本当に小さいように感じます。ですが違いも共感も含めて、生きようとしてきた結果今があるんだと思いました。違う事も、共感する事も人間には当たり前のように備わっている機能であって、土台はとうの昔に作られている。その源は生きようとした力。そこはどれだけ時代が進んでも変わらないんじゃないかなと思いました。締め括りって難しいですね。終わりたいのに追われない感じがしてもどかしいです。なので終わりって書いときます。
終わり。