ユゴーは、独裁化する大統領のルイ・ナポレオン(後のナポレオン三世)によって弾圧を受け、亡命を余儀なくされた。そのなかで、大統領を弾劾する『小ナポレオン』『懲罰詩集』を発表し、この亡命中に、大著『レ・ミゼラブル』を完成させている。フィレンツェを追放されたダンテが『神曲』を創ったように。 彼らが、最悪の状況下にあって、最高の作品を生んでいるのは、悪と戦う心を強くしていったことと無縁ではなかったであろう。悪との命がけの闘争を決意し、研ぎ澄まされた生命には、人間の正も邪も、善も悪も、真実も欺瞞も、すべてが鮮明に映し出されていく。また、悪への怒りは、正義の情熱となってたぎり、ほとばしるからだ。 彼が祖国フランスに帰還するのは、ナポレオン三世が失脚したあとであり、亡命から実に十九年を経た、六十八歳の時である。 彼の創作は、いよいよ勢いを増していく。彼の心意気は青年であった。人は、ただ齢を重ねるから老いるのではない。希望を捨て、理想を捨てた刹那、その魂は老いる。 「わたしの考えは、いつも前進するということです」とユゴーは記している。 伸一は、ユゴーの業績をとどめる上院議場を見学して、蘇生の新風が吹き抜けていったように感じた。 彼は、この時、思った。 〝文豪ユゴーの業績を、その英雄の激闘の生涯を、後世に残すために、展示館を設置するなど、自分も何か貢献していきたい〟 その着想は、十年後の一九九一年(平成三年)六月、現実のものとなる。パリ南郊のビエーブル市に、多くの友の尽力を得て、ビクトル・ユゴー文学記念館をオープンすることができたのである。記念館となったロシュの館には、ユゴーが何度も訪れている。 ここには、文豪の精神が凝縮された手稿、遺品、資料など、貴重な品々が公開、展示され、ユゴーの人間主義の光を未来に放つ〝文学の城〟となったのである。