家族がそろって食卓を囲んでいると、台所から食器を洗う音が聞こえる。
洗い桶の中で、食器がずれたとかそういうレベルではなく、ジャージャーカチャカチャ音が鳴っている。もしかして水を止め忘れたかと台所に行けば、水も出ていないし人もいない。
これがアパートならば、隣の部屋の炊事音が聞こえるのだろうということになるが、我が家は一戸建てで、隣の家との間にも庭と駐車場があるため互いの生活音がきこえることはない。もちろん窓も開いていない。
私が中学の頃は家族仲が悪く、常に祖父と父、祖父と母、母と父が言い合いや喧嘩をしていたため、家が静かということが無かったので他の音に気を止めることも無かった。実際その頃には“音”は無かったのかもしれない。けれど高校の頃、家族間の争いが冷戦状態になってから、音がはっきりと聴こえるようになった。
お風呂に入っている音、トイレットペーパーを巻き取る音、ドアの開け閉め、足音などあらゆる生活音が聞こえ確かめにいくと誰もいない。
はじめは自分にだけ聞こえている空耳なのかと思ったが、あるとき母が「また水音がするね」というので詳しく尋ねてみると、実は家族全員がその音を聞いていることが分かった。そして不思議と、誰もこれらの現象を“怖い”と感じていなかったのだ。
「ご先祖様か誰かがいるんだろう」
それが私たちの共通の認識で、以来家族間ではその見えない同居人のことを「彼方さん」と呼ぶようになった。
彼方と此方、彼岸と此岸、それぞれに生活があるのかもしれない。