朝5時半頃知らない番号からの電話。
一瞬で目が覚めてその時すぐに

あぁ、お母さんはもうダメなんだ。

と思いました。

看護師さんの声と、後ろから聞こえる機械音。
「今から病院に来ることはできますか?ゆっくりで大丈夫ですから、気を付けてきてくださいね。」
その時はグッッと我慢して、父親に連絡。
夫とすぐに病院へ向かいました。

病院へ向かっている最中は震えと涙が止まりませんでした。

大丈夫だったら呼ばれない。
ダメだから呼ばれる。

後者なのは間違いないのに受け入れ難い現実。
母がこの世にいなくなる、意識がない、死ってなんだろう?と頭の中はごちゃごちゃで、冷静にならなきゃと思っていても無理でした。

病院に着いて合流してから、担当の先生からお話があり母の死を宣告されました。
その場で妹は泣き崩れ、私は抱きしめることしか出来なくて、実感も湧きませんでした。


死因は食物を喉に詰まらせた窒息による低酸素脳症。

52歳とあまりにも早すぎる死にやり場のない感情でした。

意識のない母との対面に、体が震え夫に支えてもらってました。妹はしっかり立っていたのに。

絶対に目を覚まさない母を目の前にした途端、涙が溢れて止まりませんでした。冷たくて、体が硬くなっていて血の気がない。こんな母を見ることはもちろん初めてで、悲しいとか辛いとかもう訳の分からない感情でいっぱいに。

「沢山愛情を貰ったんだから、最後にちゃんと抱きしめて、頭撫でてありがとうねって沢山伝えるんだよ」

って、泣きながら少し叫んで言ったと思います。
もうね、感情も涙も止まらなくて書いてる今も涙が止まりません。

その時は今以上に泣いて母を姉妹で抱きしめていました。硬かったなぁ。
ずっとそこにいることはできず他のご遺族の面会もあったので一旦退室しなければならなくて。

遺体安置所から出て、トイレに向かおうと思ったんですけど立てなくなっちゃって。
ドラマとか漫画とかで立てなくなるシーンあるじゃないですか。
ほんとになります。夫に支えてもらってやっと立って。泣きながら病院内を歩きました。


控え室に戻ってからは沈黙状態。
父親も沈黙。というか放心状態。

「色々な所に連絡をしなければいけないのではないか?」

こういうとき、父親がやるものだとは思いますが頼りがいは1ミリもない父親。
その時は必死でした。
起こってしまった事実に背を向けることなく、アドレナリンもばんばん出て、頭もフル回転。
葬儀屋さん、母の職場、自分の職場
縁を切っていた叔母。


叔母とは、同年6月に祖父が亡くなった時に連絡を貰って、10年振りに会ったんです。
母はもう一生会いたくないと言っていた祖父と叔母。でも連絡しないわけにはいかないじゃないですか。他の所に連絡しても涙は出てこなかったのに、叔母の声を聞いた瞬間呂律も回らないくらい泣いてしまって。自分でもびっくりするくらい。


だって、先月は楽しく喋っていて、家にも遊びに来てくれていて。
「お父さんと離婚するために頑張ってるよ💪」って、今まで成功なんて1度もしなかったダイエットして、30キロくらい痩せてすごく小さくなって。
大嫌いだった病院にもちゃんと行くようになって、糖尿や血圧の薬も飲んで、精神的にもすごく落ち着いていたのに。



「また来月遊びに来るね〜!次はもっと細くなってるかも🎶」



私が聞いた母の最期の声でした。