前回のブログを読み返して気がついたが、思考がぐるぐると回っていくのと同じように私の文章も気づけば題が変わっている。どうあがいても読みづらく目的も終着点も何も無い。が、それが今の自分の心情のようで。やはり特に何も考えずに書き続けることにした




普段、愛というものを感じることはあるだろうか。いつか、「なぜ無償の愛を他人に与えることができるのか」と問う人がいた。見返りを求めてしまうらしい。そもそも無償の愛とはなんなのか。相手には何も求めず、ただ愛を注ぐのか。それはもはや愛と呼べるのだろうか。


考えても答えの出ない問は考えるだけ無駄だと言う人がいるが、私はそうは思わない。答えが出ないからこそその思考の過程にその人の色が出るのだろう。それを他人と共有するもしないも個人の自由なのだが。





愛とは自分を満たしてくれるものだと聞いたことがある。辛いとき、苦しい時、愛は自分を救ってくれるときがある。幸せな時、愛はより一層幸せを感じさせてくれる。そういった経験をすることは多々あるのだろう。事実、あった。こんなにも感じるものなのかと思うほどに。




しかし、その愛ですら自分を苦しめる時があるのではないだろうか。いつまで注がれる愛なのか。いつまでこの愛を注げるのか。未来が見えないなかで継続的なものに不安を抱く。並々と注がれたコップの水も、いつか倒れて全てこぼれ落ちてしまうのではないか、と。



何度こぼしていくのだろう。掬い上げることのできなかった雫が、床を濡らし、乾いていく。元々無かったものかのように。そして、倒れたコップだけが残されている。



震える両手で、こぼさず、倒さず、倒されないように、取られてしまわないように、1人で大切に抱えている。







愛とは。臆病で狂気的なーーー。