沖縄は、
ただ単純に、
晴れ晴れした青空の下、
きれいな海辺で、
リゾート気分に、
異色の文化を味わいながら、
観光する場ではない。

1945年3月27日、
第二次世界大戦さなか、
米軍は沖縄を、
日本制圧の為の最重要拠点であるとし、
総攻撃をしかけた。

もちろん、
当時の日本は、
これに抵抗すべく、
この総攻撃に対して、
女、子供関係なく、
総動員作戦を持ちかける。

今、訪れたひめゆりもまた、
その惨劇の舞台となった場所である。

ひめゆり学徒隊として有名な彼女等、
それに引率した教員を含む、
222名の歴史は、
戦争の悲惨さを物語る。

約3ヶ月に及ぶ、
昼夜、
手も休める暇もない救護活動の後、
米軍に包囲された状態での、
解散命令。

我々、
戦争を知らない、
若い世代は、
生き残った彼女たちの、
当時の情景に、
目をつぶってはならない。

入り口で、
ハイビスカスを中心とした、
色鮮やかな、
献花を一束買い、
戦死された方々の、
安らぎを祈るとともに、
平和への祈願を込めて、
塔に祈る。

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また、
併設された資料館に足を運ぶ。

今、思うことは、
我々は平和ボケしてやしないだろうか。

もしかすると、
自分がそうだったのかもしれない。

御国の為、
彼女たちは戦線に参加し、
捕虜となるならば、自決せよとの教育のもと、
失う必要のなかった命を落とした、
彼女たちの無念さを考えれば、
今の世の中、
ちゃんちゃらおかしい。

戦争でなくなった方々を、
さも英雄のように崇め、
御国の為に活躍されたと賞して、
英霊として祀る、
護国神社のようなものもあれば、

そこに参拝する首相、

未だに自衛のためと称して、
配備される軍隊。

それの戦地への派遣。

無念に散った彼女たちの想いを踏みにじってやしないだろうか。

我々、これからの世の中を、
先頭に立ち、
未来を切り開こうとする、
若い世代は、

こうした歴史から、
多くのことを学びとり、
活かすとともに、

こうした歴史を、
さらに、
後世へと、
保存していかねばならないと、
そうすべきじゃないのかと、
素直に思う。

戦争で、
戦死された方々への、
安らぎと、
ご冥福を祈るとともに、

今の世の中への、
問いかけである。


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