コロナウイルスが世間を席巻する中、家の中ですることがない私は、一人キッチンの棚を覗いていた。
日本から持ってきたり、友人からいただいた貴重な日本食の在庫を確認していたら、奥に追いやられた昆布と目が合った。
そういえばこちらに来たばかりのときは、ちゃんと出汁から自分で取っていたっけ。
とはいえ、長い海外暮らし。
帰国のたびに大量の昆布や鰹節をもっていくわけにもいかず、最近はもっぱら「顆粒出汁のもと」にたよりきりだった。
・・・久しぶりに出汁からとってみるか。
自由に外出できない今、普段の食事づくりをはじめ、“丁寧な暮らし”を始めるにはいい機会である。
そういえばかつて『ためしてガッテン』で紹介されていた、京都の料亭に伝わる昆布出汁の奥義、蔵で20年熟成させた昆布で取った出汁は絶品とかなんとか言っていたのを思い出した。
乾燥昆布を2~3cm角に切り、日本酒に一瞬サッとつけ、アルミホイルをしいた天板に並べて110°のオーブンで1時間焼成する
このひと手間だけで、20年ものに匹敵する昆布が家庭でも簡単に再現できるという。
元々、昆布出汁というのは出汁界(そんなんあるんか笑)の中では控えめな存在である。
よく言えば上品な味だが、インパクトには欠ける。
おすましにはよくても、みそ汁や煮物など濃いものと混ざったときに出汁の良さが生きてこずに負けてしまう。
昆布だけでは心もとないので、関西では、昆布出汁の中に鰹節をも投入し、パワフルな出汁へと仕立て上げる。
いわゆる「鰹と昆布のあわせだし」である。
カツオ以外にも、「いりこ」や「あご」など、魚からとれる出汁というのはやはりパワフルな味になる。
ところが京都の料亭の板前さんだけは、長い年月をかけて熟成させた昆布からは究極の出汁がとれるという昆布の持つ真の力を知っている。
この液体は、昆布だけで取ったものとは思えないほど、濁りのない澄み切った美しい黄金色をしているのだ。
などとあれこれネットで調べているうちにあっという間に1時間がたち、20年もタイムスリップした昆布が出てきた。
いい感じである。
ちなみに薄い昆布だと、この時点で焦げ焦げになっていることがるため、厚みのある利尻や羅臼昆布が適しているらしい。
その昆布でだしを取り、さっそく味噌汁を作ってみた。
・・・う、うまい!うまいぞ!!
せっかくの天然の出汁なのに、ここ最近だしの素ばっかり使ってたからアミノ酸調味料のせいで舌がバカになっていて、おいしさがわからなかったらどうしようと思っていたけど、その心配は無用だったようだ。
昆布とは思えぬ力強さを感じる一方、昆布本来の優しい味わいが広がる。
まるで自然の恵みが、海外の食生活で少しづつ疲弊した五臓六腑に染み渡っていくようだ。
ここでふと、故郷の京都を思い出した。
家族は元気に暮らしているだろうか。
日本にいる妹とオランダの私、娘二人の未来をどう思っているのだろうか・・・
一筋の水滴が頬を伝った。
この味噌汁以外にも故郷の味というのは、どうしてこんなにも穏やかで安らぎに満ちているのだろう。
私の母は料理が決して得意ではなかったが、幼いころから慣れ親しんだ味というのは、ふるさとで過ごした懐かしい思い出が呼び覚まされ、すべてを包み込んでくれるあたたかい感じがする。
何かの本で読んだが、人は、言語や思考や習慣はその土地土地に合わせて適応できても、味覚だけは世代をまたいでも簡単には変わらないらしい。
かつて日本から新天地を求めてブラジルに渡った人々の子供やその孫が、両親や祖父母から教わった日本語や日本の習慣をすっかり忘れてしまっても、祖国の味を求めて足しげく日本食レストランに通うように。
故郷の味というのは、無限大である。
<本日の一枚>
あ、そうそう。
サマータイムが(とっくに)始まりましたね。
たった1時間のずれでも体はどこか違和感が否めないので、今となっては延期になった東京五輪の関係で、日本でもサマータイム2時間導入しようぜ的な意見が一瞬上がりましたが、どう考えてもこの案消えてよかったですよね。
まああの頃は、まさか五輪が延期に追い込まれる事態になるなんて世界の誰も夢にも思わなかったでしょうが。