輪島功一[コラム] | ALTERNATIVE

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最近気力がない・・・

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 東日本大震災の被災地に向け、スポーツ界から支援の輪が広がっている。ボクシング元WBA・WBC世界スーパーウエルター級王者・輪島功一氏(67)は、東京・国分寺市内で営む『だんごの輪島』の店頭に震災発生2日後から義援金箱を設置した。“炎の男”は被災者にエールを送るとともに、買い占め行為や後手に回る政府の対応を一喝した。また、引退後に人生をかけた団子への思いや、タレント活動の裏話なども披露した。






 ★義援金箱に50円を入れると、1本70円の“応援みたらし団子”がサービスされる。この団子に込められた思いとは。
 「俺は北海道の久遠村(現せたな町)で小学生時代に津波を経験した。中学の時はイカ釣り船に乗っていた。でも今回、改めて津波の恐ろしさを実感した。亡くなった人、生き残っても、苦労して借金返し終えた家を一瞬で失った人のことを思うと、俺はもう、テレビ見ながら泣いてんだよ。国がもっと動けよ、この野郎!!って、怒ってんだよ。国会議員の給料、全部減らして動かないとダメだよ。だからさ、せめて俺にできること、団子と引き替えの義援金を被災地に送ろうと」






 ★首都圏での買い占め問題にも物申した。
 「自分だけ良ければいいという考えの人が多いということ。日本人は自分に自信がないから金や物を持っていれば偉いという考え方がある。不安なのは分かるけど、ためてもしょうがない。俺の知人が1億2000万円の財産を残して亡くなったら、8200万円の税金がきた。財産といっても土地や株券だから、それが売れなくて困ったんだって。金持って死んじゃ絶対ダメよ。使わなきゃ。使えば税金払ったことになるし、経済も活性化するんだから」






 ★思いは東北へ。
 「持っている金をどこに使うかということを忘れちゃいけないよ。東北に向けて頑張って役立ててもらわないと。50年、150年先、孫の孫の代まで日本を考えろって。東北の震災をきっかけにして、助け合いのサイクルを作りたいね」 






 ★ところで、なぜ「団子屋」だったのか。
 「引退して店をやろうとした時、『酒の商売がいい』って言われたの。でも俺、酒飲むしさ。酒飲んだら相手に向かっていっちゃうのよ。お客さんとケンカになっちゃうし、そうなったら俺、負けたくないから引っぱたいちゃう。それが怖いから、お酒の商売はやめて、団子屋。知人に『団子屋いいよ』って勧められたのがきっかけよ」






 ★1979年創業。32年間、国分寺駅近くの商店街で奮闘している。
 「『団子屋やるよ』って女房に言ったら、『あんた、何すんのさ!?』って言うから、俺は『バカ野郎!団子屋は夫婦でやんなきゃダメなんだよ!!女房はパートさんの5倍の利益率があるんだから』って説得したの。女房も『そういうもんかぁ』ってことで5カ月間、夫婦で団子の作り方を習って、開店当初は夜中2時に起きて仕込み、朝7時ごろから接客する日々。経験も何にもないのに、よく頑張ったよ」






 ★団子哲学を披露。
 「今はジム中心で店には毎日来れないけど、俺がやるときはタレもあんこも、たっぷり付けます。『こんなに付けてもうかるの?』って聞かれるけど、損して得取れ、薄利多売。生地もコシがあって“キチョン、キチョン”してますよ」






 ★具志堅用高、ガッツ石松とともに“世界王者3羽ガラス”としてテレビの人気者でもある。






 「関根勤くんにね、お会いすると俺から『ありがとう』って言うんですよ。『あなたが僕のマネしてくれるおかげでテレビに出してもらえる。うれしいよ』って。娘の麻里ちゃんもいい子だよねぇ。お父さんがしっかり育てたのが伝わるよ。具志堅くんもテレビで頑張ってる。世間がボクシングを思い出してくれるからいいことだよ。俺は話があれば『やぁ~、どうも~』ってテレビに出てます。『俺、何もできないよ』と言っても、テレビの人は『輪島さんは輪島さんのスタイルでいいから』だって。グフフ。笑っちゃうよね」






 輪島氏はウエルター級のボクサーで、次男・大千(ひろかず)がジムの後継者になる方針を明かした。大千は昨年、33歳ルーキーとして東日本新人王決勝戦に挑み、敗れたが、父は「大千が『俺、将来ジムを継ぐ』って言ってくれたから33歳で試合させた。負けたけど、あの経験は何物にも替えられない。百聞は一見にしかず。今後もトレーナー兼で現役を続けていくつもりのようです」と語った。






 ◆義援金 店頭だけでなく、21日にはJR国分寺駅前で大場店長の息子さんらが募金を呼び掛け、26日までに約10万円が集まった。






「だんごの輪島」は国分寺駅北口から徒歩3分。月曜定休。