八丁堀駅からスタートして、新川周辺を散歩して来ました。
川の長さが約1kmと短い亀島川に架けられた亀島橋です。江戸時代には、川の下流に船見番所が置かれてました。江戸に川から入る船舶の検閲をしてた所です。密航もあったかもしれません。
赤穂義士 四十七士の1人である堀部安兵衛武庸の記念碑があります。堀内道場の四天王と呼ばれ、時代劇さながらに、数人を切り伏せて堀部弥兵衛の婿養子となりました。正に生きるか死ぬかの時代を感じる事件に関わった人のエピソードです。
亀島川沿いを日本橋水門目掛けて歩くと霊岸橋があります。橋の創架は江戸時代初期で現在の橋は昭和に架け替えられました。昔は幕府主導、今は自治体主導で公共事業は共通です。
河村瑞賢の屋敷跡まで移動しました。
海運や治水事業に尽力した方です。
江戸幕府の命を受けて、東廻り・西廻り航路を開発し、物資輸送の時間と費用を大幅に短縮しました。
スタートの亀島橋に松尾芭蕉の句碑がありました。八丁堀で詠んだ句です。
八丁堀に住んだ人物紹介も亀島橋にありました。
1人目は謎多き東洲斎写楽です。幕末の考証者と越谷にあるお寺の過去帳に同じ人物が写楽であったと書かれているので有力な説になっています。
阿波藩に仕えた斎藤十郎兵衛らしいです。
2人目は伊能忠敬です。全国を歩いて測量した人ですね。全国を歩いた後に深川から亀島町に移り住みました。偉人の方々の成し遂げる情熱は素晴らしいです。