フェルマーの最終定理
- フェルマーの最終定理 (新潮文庫)/サイモン シン
- ¥820
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何度読んでも面白いです。
ちなみに僕の父は数学の先生でした。
僕と父は顔がよく似ていたのできっと僕も理系に違いないと高校生の僕は鼻息荒く理系に進みましたが、いろいろあって(サイン・コサイン・タンジェント君すら勉強せぬまま!)今は文系の学部に所属している僕ですら楽しめました。
数学音痴だった人でもこれ読んだら「安西先生…数学がしたいです…」っていう物真似を必ずすることになるであろう、そういう作品、良書。
アイスキュロスが忘れ去られても、アルキメデスは記憶されているだろう。言葉が滅んでも、数学の概念は滅びないからである。「不滅」とは愚かしい言葉かもしれないが、それが意味するものになる可能性は、多分数学者がいちばん高い。
G・H・ハーディ
「おまえは知っているのか」悪魔は打ち明けるように言った。「よその惑星で一番の数学者たちにだって、この問題は解けなかったんだぞ。ここの数学者よりずっと頭はいいんだがな。土星にいたある男なんぞは、――これが竹馬に乗ったキノコみたいな奴でな――偏微分方程式を暗算で解いちまうんだが、奴でさえこれにはお手上げだったんだ」
アーサー・ポージス『悪魔とサイモン・フラッグ』
数学とは、整備されたハイウェーを着々と進むことではない。それは未開の地を旅することなのだ。探検家は往々にして道に迷うだろう。歴史家にとって、厳密性は地図ができたしるしとなろう。だが地図ができるころには、真の探検家はどこか別の場所に行ってしまっているのである。
W・S・アングラン
証明とは、数学者がそれを前に自らを責め苛む崇拝物のことである。
サー・アーサー・エディントン
画家や詩人の作るパターンが美しいように、数学者の作るパターンも美しくなければならない。色や言葉と同様に、数学の概念は調和していなければならない。美こそは第一の試金石である。酷い数学に永住の地はない。
G・H・ハーディ
問題解決のエキスパートは、相矛盾する二つの資質をそなえていなければならない――たえまなく湧きあがる想像力と、じっくりと考えるしぶとさである。
ハワード・W・イーヴズ
攻撃に値する問題は、反攻によりその真価を示す。
ピエト・ヘイン
数学マニアの あんちゃんが
フェルマーの定理 解いてみた
もしも負けたら どうしよう
あとから解いた ワイルズに
一枚上手のワイルズに
フェルナンド・グーヴィア