たしかに自民党の安定政権が続いている間は、両院の多数を握ったのはいずれも自民党という場合がほとんどであった。その限りにおいては、両院の出す結論が異なる可能性は低かったといえるだろう。
もちろん自民党所属の衆院議員と参院議員の対立はつねにあったが、そのような対立は与党内部で処理された。とはいえ、そのような時期においてすら、参院はしばしば法案に修正を加え、さらには法案準備段階で影響を与えてきたという実証研究がある。
やはり2つの議院で審議を行なうことは、少数派にとっては抵抗の機会が増えることを意味する。その分、政権はどうしても予想される抵抗を考慮して法案を準備することになった。
そうだとすれば、参院を「カーボンコピー」に例えるのは、あまり適切でなかったといえるだろう。
まして、「ねじれ国会」がなかば常態化しつつある今日、憲法上の規定を見ると、ほとんど衆院と同様の権限を有する参院は、かなり「強い」第2院であることが明らかになってきた。
このことが、あらためて参議院の存在理由が問い直される機運を高める背景となっている。