イチは馬車に揺られながら、黒く明るい目で、
初めて訪れたこの草原の町を見回した。
その町は草原を二つに分ける、大きな川のほとりにあった。
日干し煉瓦を積み上げ、白い漆喰で塗り固められた家々が並ぶ広い通りでは、
人と馬が忙しそうに行き来している。
川には白い帆をたたんだ船が、停泊していた。
船の側では、商人たちが船から下ろされたばかりの荷物を取り囲み、
激しく手を振り上げながら、値段の交渉をはじめている。
(随分活気がある町ですね。それに思ったより大きい)
イチが驚いていると、
「ハルテルって名前の町なんだ」
ヴァールが誇らしげにイチに言った。
ヴァールとは、草原でイチの呪いの匂いを嗅ぎ取ったあの若い男だった。
イチと同じ22歳だったが、笑うともっと幼く見えた。
ヴァールは揺れる馬車の中で荷物にもたれ、
人懐っこい顔をしてイチに向かって喋り続けていた。
最初にイチに見せたあの強面からは、想像できないくらいの変わりようだった。
「町外れの家を、俺達の村で借りてるんだ。
村の仕事が暇になると、みんなでこうやって出稼ぎに来てさ、
大工仕事とか、荷物運びとか、力仕事やって金貯めて、また村に帰るんだよ。
ほら、あの家が俺達の村の家だ。
ああ、あそこにおばさんがいる。俺の母さんの姉さんなんだ。
あの家の管理をしてくれてるんだよ。
なんだか、去年より太ったみたいだなあ。
すごくいい人なんだよ。ちょっと、うるさいけどさ」
川辺に立つ小さな家のドアの前で、
ヴァールに良く似た茶色く縮れた髪の毛をした50歳くらいの女性が、
大きく手を振っていた。
ぽっちゃりした体に、ごわごわとした白いブラウスと、青いスカートを着て、
古い革靴を履いている。
馬車が止まるとすぐ、人の良さそうな笑顔で駆け寄り、
馬車をおりてくる懐かしい顔に向かって、甲高い声を上げた。
「ああ、みんな無事に着いて良かったわ。
元気にしてた?あら。あなた久しぶりねえ。奥さんは元気にしてる?
そう、良かったわあ。まあ、この傷はなに?いやだ。気をつけるのよ。
あら、そこにいるのはヴァールじゃない?
まあ、すっかり大人になって。顔をよく見せて。お父さんそっくり」
おばさんのぽっちゃりした手で顔中を撫でられ、
ヴァールはくすぐったそうな笑い声を上げた。
「おばさん久しぶり。もう、俺の顔撫でるのやめてくれよ。
ほら、これは絵師のイチ。草原で拾ったんだ」
「あらまあ、この人は、東の国の人なのかい」
ヴァールのおばさんは、珍しそうにイチの顔や、服を見ながら近づいて来て、
急に顔をしかめた。
「嫌だ。この匂いはジンゴロ爺さんの呪いの匂いじゃないの」
ヴァールが、ぷっと吹き出した。
「懐かしい匂いだろ。
あの爺さん、今は馬で追いかけるのやめて、落とし穴を掘ってるらしいよ」
ヴァールのおばさんは、うんざりしたように空を仰いだ。
「まったく。何度、この匂いがする服を洗った事か。
災難だったねえ、東の国の人。イチっていったっけね。
洗濯してあげるから、その変わった服を脱ぎなさいよ。
それから、川で水浴びしておいで。
あんたが、思ってるより、呪いの匂いはきついんだよ。
ジンゴロ爺さんは、いろんな物を腐らせてブレンドしてるらしいからね。まったく。
水浴びをしたら、みんなと一緒に食事をしておいき。分かったね 」
東の国から遠く離れたこのハルテルの町でも、
一生食べるものに困らないというイチの運命は変わらなかった。
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