自己肯定感を上げましょう。
ってもう誰でも言いますよね。
カウンセラーとかコーチとか
そういう職業の人だけでなく
ほんとにもう誰でも。
そのくらい
自己肯定感は市民権を得ている。
だから
自己肯定感というワードは
なんていうか・・・
私にとってはちょっと腫物な感じです。
自己肯定感?
なにそれ?
などと言おうものなら
袋叩きに合いそうですもん(笑)。
もちろん
「なにそれ?」とは言わないですが
なんでもかんでも
自己肯定感を上げさえすればいい、
のようにハナシが進むことには
危機感を覚えています。
本当にそうなの??
と疑問に思うこともしばしば。
でも、黙っていることも多い。
何しろそう信じ切っているときに
どれだけ説明しても
「このカウンセラーは分かっていない」
となりかねないので
お相手の考えをよく理解してから
説明をするようにしています。
「自己肯定感を上げる」って
考えてみたら
とても不思議なフレーズだと思います。
自己肯定感を上げましょう!
というスローガンには
健康でいましょう!
幸せに生きましょう!
っていうくらい
あんまり意味がない。
意味がないというか
何も言っていないというか
そんなふうに思います。
それは
自己肯定感の低さは
結果であり原因ではない
と思うからです。
そんな、
誰でも望む結果を言われてもね、、、
ていうね
(もちろん、ある種の文脈で
当たり前すぎることをあえていう意味・効果
が存在することも理解していますけれど)。
自己肯定感を上げよう、というのは
それが低いから、
なのでしょうけれど、
その視点だけだとそもそも
「では、なぜ低いのか?」
「低い状態とは何を意味するのか?」
が抜けているように思うんです。
『自己肯定感の低さ』って何?
と考えたときに
私はある種の ”症状” だと考えています。
症状でもいいし
後遺症でもいい。
とにかく、どう呼んでもいいけれど
なんらかの原因があって
その影響が続いているからこそ
症状(低い状態)が出ている、
そう考えるわけです。
健康でいましょう!
と言われて
健康なフリをする人はいない。
健康じゃないな、と思うなら
その原因にアプローチするはずだし
不健康な状態に合わせて
対処法も変えるはず。
健康なフリをして
健康になるわけじゃない。
フリをして一時的にしのげたとしても
なんらかのきっかけで
ぶり返してしまうはず。
それと同じで
低くなる原因に手つかずのまま
表面的に「自己肯定感を上げよう」
とするのは
原因を無視して結果だけを
変えようとする行為に見えます。
それよりは
原因となる部分に対処して
結果として自己肯定感が上がっていた
という流れのほうが
より本質的かな、と私は思います。
前向きになる言葉とか
自分をほめる習慣とか
いいこと探しとか
こういったものの効果が
一時的にしか続かないな、
という場合は
なんらかの原因が存在していて、
その原因にそれらの良いものが
届いていないのかもしれない。
それは、それらの言葉や習慣に
効果がないのでもなく、
あなた自身のやり方がまずいとか
性格がどうのということでもなく
何か別のアプローチが
必要なサインなのかもしれない。
病んでるわけでもないし、
会社に行けてるから大丈夫、
っていう人ほど
カウンセリングを一度検討してほしいな
と思います。
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