1987年にデビューした武豊騎手。
新人最多勝記録を更新する69勝を上げ、1年目にして『勝てるジョッキー』の地位を手に入れる。
翌、1988年には史上最年少での関西リーディングジョッキーを獲得。
またこの年、最良のパートナーたる1頭の優駿に巡り会う。
スーパークリークという名を持った優駿が、若き日の武豊騎手を大きく羽ばたかせたのだった。
昭和最後となった菊花賞をスーパークリークとのコンビで圧勝。
史上最年少クラシックウイナーとなる(この時の物語はこちらに→思い出の菊花賞)
こうして僅か2年目にして『トップジョッキー』たる不動のポジションにつく。
平成に年号が変わった1989年も武豊騎手の快進撃は続く。
春シーズン、シャダイカグラでの桜花賞制覇を皮切りに
イナリワンでの天皇賞・春&宝塚記念制覇とGⅠ3勝の荒稼ぎ。
この大活躍から「武豊ならば…」と大多数のファンからも特別視されるようになり
スタートを失敗した桜花賞も「大外枠の不利を消す為にわざと出遅れた」と
まことしやかに語られる事となり、伝説が独り歩きを始めたりする。
そんな武豊騎手は『天才ジョッキー』と形容されることになるのだが
自分が「武豊(騎手)は天才や!」と思ったレースが存在する。
それが1989年の第100回天皇賞であった。
この秋、覇権を賭けて凌ぎを削った3頭の優駿…
『芦毛の怪物』オグリキャップ
『最速ステイヤー』スーパークリーク
『野武士』イナリワン
俗に言う『平成(最初)の3強』が初めて揃い踏みしたのが、第100回天皇賞だった。
1989年10月8日…
この日のメインレース・京都大賞典の発走時刻が迫る中
スーパークリークの鞍上で武豊騎手は競馬場内の異様な盛り上がりを感じていた。
この異様な盛り上がりの原因、それはターフビジョンが映し出す東京競馬場にあった。
同日東京のメインレース・毎日王冠のレース実況がアナウンスされる中
激しい叩きあいを映すターフビジョンに食い入るファンの歓声。
この歓声を聞いた武豊騎手の脳裏には『芦毛の怪物』オグリキャップと
『野武士』イナリワンが叩き合っている映像が浮かんでいた。
武豊騎手は、春シーズンにイナリワンの手綱を取っていただけに
イナリワンの手応えを思い出しながら、脳内映像を作り出していた。
(後方待機…
直線はオグリキャップの外から末脚の切れ勝負…
馬体を併せる形は避けないと…
不味いな…
さすが南井さん、良く解っているな…
馬体が併うと、やはりオグリキャップは強いな…)
ワァーーーッ!!と先程にも増して大歓声が上がった時
武豊騎手はオグリキャップが勝利した事を確信した。
京都大賞典のスタート直前。
武豊騎手の頭には目の前の前哨戦を飛び越え
府中の2000mで最大のライバルと戦うシミュレーションが行われていた。
そして…
(クリークならば勝てる!!)
迎えた1989年10月29日、東京競馬場。
第100回天皇賞…
出馬投票が行われた時点で明暗が分かれていた、ように思った。
オグリキャップ、3枠4番。
イナリワン、5枠7番。
スーパークリーク、8枠14番。
トリッキーな府中の2000mコースは真ん中より内目の枠が圧倒的に有利と言われている。
単枠指定されたオグリキャップにとっては当に絶好の枠を引き当てたのである。
対してスーパークリークは大外枠、打倒オグリキャップには酷に思えた枠番だった。
「また桜花賞のように出遅れて、インを取りにくるかも…」などと云う
何の根拠もない風聞まで出たことを記憶している。
前年の京都新聞杯で後方からの競馬を見せていたスーパークリークだったから
こうした風聞がまことしやかに流れたのだろう。
しかしどう考えてもスーパークリークが、あのオグリキャップを
後ろから差し切る競馬は想像出来なかった。
だから自分の馬券は枠連3-5の1点だった。
テレビ画面が『平成の3強』をかわるがわるに映していく。
オグリキャップも、スーパークリークも普段と変わらない雰囲気だった。
唯一イナリワンの気配だけが大人しく感じた。
心配だったイレ込みはマシで、落ち着いた雰囲気を出していた。
この時には、前走・毎日王冠での火の出るような死闘からくる疲れが抜けきれず
出来落ちの状態だったとは思いもしなかった。
結果からいえば、このレースではイナリワンの出番は来なかった。
そして続くジャパンカップでも大敗を喫し、3強の一角は深く潜行することになる。
要は忘れ去られて行くのだ。
しかし『野武士』は反撃の刃を失ってはいなかった。
その話はまた後日触れようと思う…
ゲートオープンの瞬間、自分は思わず声を出した。
「凄ぇっ!!」
鳥肌が立つほどの出来事だった。
大外枠からスタートしたスーパークリークはスッと3番手につけたのだ。
無理押しするでなく、馬に負荷を掛けることなく、自然にその位置を取ったのだ。
この瞬間から自分は「武豊(騎手)は天才や!」と思い続けることとなったのだった。
レースは、このスタートで決まったと言っても良いと思う。
序盤で負荷を受けることなく3番手につけたスーパークリークは番手から正攻法の競馬を展開。
片やオグリキャップは中団から押し上げる、こちらも自身の正攻法を選択する。
『正攻法 vs 正攻法』ならば、勝敗の鍵を握るのは、負荷の有り無しとなる。
大欅手前でスーパークリークの直後まで取り付いたオグリキャップだったが
直線入り口で南井克巳騎手が、一瞬進路の選択に躊躇する。
ここで一旦ブレーキが掛かったオグリキャップは1つの負荷を受けた。
外に出し直して、前を行くスーパークリークを猛追するも首差届かずに終わる。
スタート~ゴールまで負荷を負うことなくスムーズな競馬を行ったスーパークリークが勝ち
直線で1つの負荷を背負ったオグリキャップが負ける…
そんな当然といえる結果が残った。
不利と言われた大外枠から武豊騎手が見せたスタートこそが全てだったのであろう。
このスタートで負荷を掛けていれば、結果は逆になっていたと容易に想像出来る。
スーパークリークの管理調教師だったの伊藤修司氏は、この時の武豊騎手の騎乗を…
「玄人が見ても一分の隙もないものだった。」
と、評したと云われる。
また武豊騎手自身も…
「120%の騎乗が出来た。」
とコメントを残した。
逆にオグリキャップ騎乗の南井克巳騎手はレース後…
「あと50m、いや10mあれば差し切れたんだが…
(一瞬の逡巡が齎した)この結果は悔いが残る。
オグリには大きな貸しが出来た…」
と、自らの騎乗に悔いを滲ませたコメントを出した。
この時に南井克巳騎手が語った『大きな貸し』が
オグリキャップと南井克巳騎手の物語を加速させる事になる。
この物語も時を改めて触れてみたいと思っている…
この南井克巳騎手のコメントにある「あと10mあれば差し切れた」と云う部分のみを
人伝に聞いた武豊騎手は、色をなして反論した。
「あと10m長ければ、長い分だけ…
50m長ければ、その分だけ計って乗っていますよ!
あのレースは何処まで延びてもクリークが勝っています!
そういうレースなんです!」
当時は「血気盛んやな」と云う程度の理解しか出来なかったこの武豊騎手の反論も
今に振り返って考えると全く違う意味だったのだと気付かされる。
スーパークリークの持つ力とオグリキャップの戦力を冷静に分析し
『勝つ戦術』を構築し、脳内でのシミュレート通りに実践する…
この事の持つ凄味は歳を経て解かった事だ。
当時は深い理解は出来ていない、が、皮膚感覚で受け取っていたんだろうと思う。
鳥肌が立つほどの衝撃を受けたんだから…
デビュー3シーズン目の若い騎手が大舞台の重圧の中で
脳裏でシミュレートした通りのプランを実践する凄さ…
当時自分より1歳半上の若干20歳がそれを成し遂げたという事実…
これが『天才騎手』の真実だと思う。
思い出の天皇賞・秋(第110回天皇賞)はこちら→クリック!
思い出の天皇賞・秋(第106回天皇賞)はこちら→クリック!

新人最多勝記録を更新する69勝を上げ、1年目にして『勝てるジョッキー』の地位を手に入れる。
翌、1988年には史上最年少での関西リーディングジョッキーを獲得。
またこの年、最良のパートナーたる1頭の優駿に巡り会う。
スーパークリークという名を持った優駿が、若き日の武豊騎手を大きく羽ばたかせたのだった。
昭和最後となった菊花賞をスーパークリークとのコンビで圧勝。
史上最年少クラシックウイナーとなる(この時の物語はこちらに→思い出の菊花賞)
こうして僅か2年目にして『トップジョッキー』たる不動のポジションにつく。
平成に年号が変わった1989年も武豊騎手の快進撃は続く。
春シーズン、シャダイカグラでの桜花賞制覇を皮切りに
イナリワンでの天皇賞・春&宝塚記念制覇とGⅠ3勝の荒稼ぎ。
この大活躍から「武豊ならば…」と大多数のファンからも特別視されるようになり
スタートを失敗した桜花賞も「大外枠の不利を消す為にわざと出遅れた」と
まことしやかに語られる事となり、伝説が独り歩きを始めたりする。
そんな武豊騎手は『天才ジョッキー』と形容されることになるのだが
自分が「武豊(騎手)は天才や!」と思ったレースが存在する。
それが1989年の第100回天皇賞であった。
この秋、覇権を賭けて凌ぎを削った3頭の優駿…
『芦毛の怪物』オグリキャップ
『最速ステイヤー』スーパークリーク
『野武士』イナリワン
俗に言う『平成(最初)の3強』が初めて揃い踏みしたのが、第100回天皇賞だった。
1989年10月8日…
この日のメインレース・京都大賞典の発走時刻が迫る中
スーパークリークの鞍上で武豊騎手は競馬場内の異様な盛り上がりを感じていた。
この異様な盛り上がりの原因、それはターフビジョンが映し出す東京競馬場にあった。
同日東京のメインレース・毎日王冠のレース実況がアナウンスされる中
激しい叩きあいを映すターフビジョンに食い入るファンの歓声。
この歓声を聞いた武豊騎手の脳裏には『芦毛の怪物』オグリキャップと
『野武士』イナリワンが叩き合っている映像が浮かんでいた。
武豊騎手は、春シーズンにイナリワンの手綱を取っていただけに
イナリワンの手応えを思い出しながら、脳内映像を作り出していた。
(後方待機…
直線はオグリキャップの外から末脚の切れ勝負…
馬体を併せる形は避けないと…
不味いな…
さすが南井さん、良く解っているな…
馬体が併うと、やはりオグリキャップは強いな…)
ワァーーーッ!!と先程にも増して大歓声が上がった時
武豊騎手はオグリキャップが勝利した事を確信した。
京都大賞典のスタート直前。
武豊騎手の頭には目の前の前哨戦を飛び越え
府中の2000mで最大のライバルと戦うシミュレーションが行われていた。
そして…
(クリークならば勝てる!!)
迎えた1989年10月29日、東京競馬場。
第100回天皇賞…
出馬投票が行われた時点で明暗が分かれていた、ように思った。
オグリキャップ、3枠4番。
イナリワン、5枠7番。
スーパークリーク、8枠14番。
トリッキーな府中の2000mコースは真ん中より内目の枠が圧倒的に有利と言われている。
単枠指定されたオグリキャップにとっては当に絶好の枠を引き当てたのである。
対してスーパークリークは大外枠、打倒オグリキャップには酷に思えた枠番だった。
「また桜花賞のように出遅れて、インを取りにくるかも…」などと云う
何の根拠もない風聞まで出たことを記憶している。
前年の京都新聞杯で後方からの競馬を見せていたスーパークリークだったから
こうした風聞がまことしやかに流れたのだろう。
しかしどう考えてもスーパークリークが、あのオグリキャップを
後ろから差し切る競馬は想像出来なかった。
だから自分の馬券は枠連3-5の1点だった。
テレビ画面が『平成の3強』をかわるがわるに映していく。
オグリキャップも、スーパークリークも普段と変わらない雰囲気だった。
唯一イナリワンの気配だけが大人しく感じた。
心配だったイレ込みはマシで、落ち着いた雰囲気を出していた。
この時には、前走・毎日王冠での火の出るような死闘からくる疲れが抜けきれず
出来落ちの状態だったとは思いもしなかった。
結果からいえば、このレースではイナリワンの出番は来なかった。
そして続くジャパンカップでも大敗を喫し、3強の一角は深く潜行することになる。
要は忘れ去られて行くのだ。
しかし『野武士』は反撃の刃を失ってはいなかった。
その話はまた後日触れようと思う…
ゲートオープンの瞬間、自分は思わず声を出した。
「凄ぇっ!!」
鳥肌が立つほどの出来事だった。
大外枠からスタートしたスーパークリークはスッと3番手につけたのだ。
無理押しするでなく、馬に負荷を掛けることなく、自然にその位置を取ったのだ。
この瞬間から自分は「武豊(騎手)は天才や!」と思い続けることとなったのだった。
レースは、このスタートで決まったと言っても良いと思う。
序盤で負荷を受けることなく3番手につけたスーパークリークは番手から正攻法の競馬を展開。
片やオグリキャップは中団から押し上げる、こちらも自身の正攻法を選択する。
『正攻法 vs 正攻法』ならば、勝敗の鍵を握るのは、負荷の有り無しとなる。
大欅手前でスーパークリークの直後まで取り付いたオグリキャップだったが
直線入り口で南井克巳騎手が、一瞬進路の選択に躊躇する。
ここで一旦ブレーキが掛かったオグリキャップは1つの負荷を受けた。
外に出し直して、前を行くスーパークリークを猛追するも首差届かずに終わる。
スタート~ゴールまで負荷を負うことなくスムーズな競馬を行ったスーパークリークが勝ち
直線で1つの負荷を背負ったオグリキャップが負ける…
そんな当然といえる結果が残った。
不利と言われた大外枠から武豊騎手が見せたスタートこそが全てだったのであろう。
このスタートで負荷を掛けていれば、結果は逆になっていたと容易に想像出来る。
スーパークリークの管理調教師だったの伊藤修司氏は、この時の武豊騎手の騎乗を…
「玄人が見ても一分の隙もないものだった。」
と、評したと云われる。
また武豊騎手自身も…
「120%の騎乗が出来た。」
とコメントを残した。
逆にオグリキャップ騎乗の南井克巳騎手はレース後…
「あと50m、いや10mあれば差し切れたんだが…
(一瞬の逡巡が齎した)この結果は悔いが残る。
オグリには大きな貸しが出来た…」
と、自らの騎乗に悔いを滲ませたコメントを出した。
この時に南井克巳騎手が語った『大きな貸し』が
オグリキャップと南井克巳騎手の物語を加速させる事になる。
この物語も時を改めて触れてみたいと思っている…
この南井克巳騎手のコメントにある「あと10mあれば差し切れた」と云う部分のみを
人伝に聞いた武豊騎手は、色をなして反論した。
「あと10m長ければ、長い分だけ…
50m長ければ、その分だけ計って乗っていますよ!
あのレースは何処まで延びてもクリークが勝っています!
そういうレースなんです!」
当時は「血気盛んやな」と云う程度の理解しか出来なかったこの武豊騎手の反論も
今に振り返って考えると全く違う意味だったのだと気付かされる。
スーパークリークの持つ力とオグリキャップの戦力を冷静に分析し
『勝つ戦術』を構築し、脳内でのシミュレート通りに実践する…
この事の持つ凄味は歳を経て解かった事だ。
当時は深い理解は出来ていない、が、皮膚感覚で受け取っていたんだろうと思う。
鳥肌が立つほどの衝撃を受けたんだから…
デビュー3シーズン目の若い騎手が大舞台の重圧の中で
脳裏でシミュレートした通りのプランを実践する凄さ…
当時自分より1歳半上の若干20歳がそれを成し遂げたという事実…
これが『天才騎手』の真実だと思う。
思い出の天皇賞・秋(第110回天皇賞)はこちら→クリック!
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