8月4日…

場所はナゴヤドーム…

その男はマウンド上で躍動していた…


その男…

中日ドラゴンズの投手、山本 昌…


プロ生活25年、42歳11ヶ月の男がマウンドで躍動していた…


立ち上がりに1失点したものの、巨人打線相手に9回まで散発4安打、7奪三振の熱投…

入魂の127球完投勝利…


それは日本プロ野球史上最遅での200勝達成の瞬間だった…


ドラフト5位で中日ドラゴンズに指名されたのは1983年…

翌1984年にプロ野球選手となったが、そこは住む世界が違いすぎた…

ストレートも130kmそこそこしかでない、変化球もカーブしかない…

なぜ2流の自分がプロになっているのかすら、理解に苦しむ現実…


でも雑草は強かった…

とてつもない壁を前に逃げ出さなかった…

住む世界が違うと諦めなかった…

2流は2流らしく、泥臭く、ひたむきに練習に打ち込んだ…


プロ入り4年、花の咲かない雑草は整理対象選手に名を連ねた…

しかし、当時の監督、星野 仙一氏の一言でクビにはならなかった…

「体がゴツイから壊れへんやろ。置いといたらええんや。」


87年に就任した星野監督は山本 昌投手に可能性を見出していた訳ではない…

「全力で投げろと言っても全然アカン。へろへろの球しか投げれん。

でも、丈夫な体をしていた。少々では壊れない頑丈さがあった。

ワンポイントで連投使いが出来るかなと思っていた。」


そしてチャンスが与えられる…

アメリカへの野球留学…

球団にとってはモノになれば儲けもの程度の考えで送り出したが

山本 昌投手はこの千載一遇のチャンスを自分のものにする…

スクリューボールとの出会い…

これが運命を変えた…

「いきなりマイナーの試合で投げたらストライク。しっくりきたし、自信になった。」


マイナーでスクリューボールを武器に頭角を現した山本 昌投手…

遂にメジャー昇格の声が掛かるまでに変貌を遂げていた…

そんな中、日本に呼び戻される事になる…


日本でもアメリカ仕込のスクリューボールが威力を発揮する…

「球審がね、『こんな球見たことがない』ってびっくりしていたよ。』(星野氏のコメント)

5年目でプロ初勝利、この年夏場から5勝を挙げてチームのリーグ優勝に貢献…


その後はローテーションの1角として活躍を続ける…

93年17勝、防御率2.05を挙げ、最多勝、最優秀防御率の投手2冠獲得…

94年19勝を挙げ、2年連続最多勝と沢村賞を獲得…

97年18勝で3度目の最多勝を獲得…


しかしエースと呼ばれる事はなかった…

今中投手、野口投手、そして川上投手がエースだった…

雑草は花を咲かせても、雑草のまま…

大輪の花を咲かせるエース達とは違う趣を持ってグランドに立っていた…

そう…

大輪の花が散っても、雑草は咲き続けた…

どこまでも雑草は強かった…


06年に日本プロ野球史上最年長でのノーヒットノーランを達成…

残すは200勝だけとなった07年、僅か2勝に終わり限界説も流れる…

「しつこいのがとりえですから…」

そういって笑う雑草はどこまでも強かった…


08年夏…

日本プロ野球史上最遅での200勝達成…

「突出したものは何もなかったけど、へこたれず、しつこさだけで頑張ってきた自負はある。」


野球への情熱とひたむきな姿勢は若手への生きた見本となっている…

「常に進化していくんだという気持ちを持ち続けていた。

野球に対しては嘘をつかなかった。サボったら必ず跳ね返ってくるから」

今でもランニングの量は若手に負けない…


趣味のラジコンカー操縦を封印して挑んだ200勝…

でも山本 昌投手は早くも次のモチベーションを持っている…

「あとは日本シリーズで勝ちたい。来年からも毎年、戦力でいられるようにしたい。」

日本シリーズでの勝利、杉下氏の球団記録211勝…

きっとこの目標が叶うまで、ラジコン操縦は封印したままになるのだろう…


雑草にとって、200勝はゴールではない…

ましてや大輪の花を咲かせる事もない…

影で咲くからこそ、名もない雑草は美しい…

ただ、その誇り高い雑草が歩んだ道程は、尊い…