八十歳の壁を越えて、伊集院静著 「受け月」を読んで | pikoのブログ :読書は楽しい, アートに生きよう!

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 伊集院静著 「受け月」 文春文庫 1995年6月10日発行 読了

 

   夕空腫れて

 

   切子皿

 

   冬の鐘

 

   苺の葉

 

   ナイス・キャッチ

 

   菓子の家

 

   受け月

 

 7編のの短編集

 

伊集院静さんは「受け月」で直木賞受賞している

 

私は今まで伊集院静さんの小説を読んだことが無かった

 

私が感じた読後感は男性が感じる世界、人生観なのだろうと思った

 

 

末尾の長部日出雄さんの解説から

 

 

  -すこぶる味わい深いこの短篇種の核心をなしているのは

    おそらく一種の深い 喪失感である 

 

  -伊集院静の小説が読む者の心をとらえて離さないのは、誰にもいずれひとしく

    普遍的に訪れる喪失感を核として、そうした人生と愛の背理を描いている

   からであるのに違いない

 

  -伊集院静の特徴のひとつは、今の日本人ががなくしてしまった本当の信仰、

   つまり人から強制されたり押しつけられたりしたものではなく、自分の心の

   底から生まれて、真に崇高と信じるものを尊ぶ信仰を持っていることである

 

 

「受け月」の文章から引用する

 

  - いい加減に聞いていたと思っていた妻の話が、間近にいるように思い出された

    鐵次郎は空を見上げて、あれが沙やの言っていた受け月なのであろうか、

   と思った。なるほど月は何かを受けるように盃の形をこしらえている

    鐵次郎はしばらくその月を見つめていた。そうして急に手にしていた紙袋を

   橋の上に置くと、月にむかって両手を合わせた。何を祈ればいいのか、わからなかった

   とりあえずさやかの婿が順調に回復するように祈った

 

 

確かに伊集院静さんの短編を読んでしばらく余韻が残るのを感じる

 

読書の楽しみは作者の感性を体験させてもらえることでもある