大吉はすっかり、エリザベスカラーを付けた生活に慣れているようだった。普段は以前と変わらず無邪気で可愛らしい。月に一回だけカラーを外すことがあった。それはお風呂に入れる時である。この時ばかりは足を噛むこともなく、うまくいけば二日ぐらいはカラー無しの生活を送ることができた。

 しかし徐々に足を気にするようになり、放っておくと血が出るまで噛んでしまうのだ。私は、ありのままの大吉を受け入れようと考え始めていた。カラーを付けていようがいまいが、大吉は大吉に変わりはないのだから。

 しばらくして、またもや問題が発生した。カラーを壁に押し付けて、足を噛むことを覚えてしまったのだ。しかし、私はもう大抵のことでは動じなくなっていた。何か方法はあるはずだと考える余裕があったのだ。

 インターネットで何か適当なものはないかと物色していると、浮き輪のような首に巻くタイプのカラーがあることを発見した。今までのカラーとセットで使おう。早速注文して着用することにした。狙い通りだった。もう、どう頑張っても足を噛むことはできなくなっていた。その日から大吉は二つのカラーを付けることになった。まるでふざけているとしか思えないような格好である。

「世界中探してもこんな犬はいないかもしれないね。」

 そんなことを家族と話しながらも、無事に解決できたことが何より嬉しかった。

 しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。今度は耳を噛むようになってしまったのだ。ミニチュアダックスフンドは耳が長いため、カラーをしていると口元まできてしまう。癇癪を起した大吉は、私の見ている前で一心不乱に耳を噛んでいた。プツプツと穴が開く音が聞こえる。今でもその音は忘れられない。もはや普段の可愛い大吉ではなかった。狂気に満ちた表情でただひたすら噛んでいた。

 今回はさすがに参った。もはや、耳を短く切るしか対策はないのかもしれない。憔悴し切った表情で、再び大吉を獣医さんに連れて行った。最初はいつもの可愛らしい大吉だったのだが、突然ジキルとハイドのように豹変し、鬼の形相で耳を噛み始めたのだ。プツプツと穴が開く音だけが響いている。私も獣医さんもその狂気に満ちた様子にただ圧倒されていた。

 もはや手の施しようがない。カラーはすぐに血まみれになった。獣医さんの顔は引きつっていたように思う。思えばここ数か月間、気が休まることがほとんどなかった。疲れ切っていた。そして、獣医さんはその尋常ではない様子を信じられないといった表情で見つめていた。

 しばしの沈黙の後、 

「安楽死の対象になりますよ。」

 という言葉が聞こえてきた。大吉の様子を初めて目の当たりにしたこともあるだろう。しかしそれ以上に、今まで私が精神的に追い詰められてきた過程を知っているだけに、これ以上は危険だと判断したのかもしれない。実は同じことを考えていた。一生カラーを二つ付け、おまけにトレードマークの長い耳を切ってまで生き続けることが、大吉にとって本当に幸せなのか分からなくなっていた。単に私のわがままなのではないかと。ご飯すら自分で食べることができないのだ。

「その方向でお願いします。」

 気がつくと、私はそうつぶやいていた。耳を噛むことができないように頭に包帯を巻いてもらい、大吉と最後の夜を過ごすために自宅へと連れて帰った。帰りの道中、私の記憶は今でもごっそりと抜け落ちたままだ。