教師を辞めて一年が過ぎただろうか。体調が一時的に若干上向くことはあっても、安定した状態からは程遠かった。躁うつ病では、うつ状態の時には自覚症状がある場合が多いと思う。私の場合、無気力で自責の念が強く、気分が沈みベッドで寝ることぐらいしかできなくなる。そうなるとうつ状態であると認識する。

 しかし、軽躁状態を自分で把握することは非常に困難だ。なぜなら、気分が良い時は自分の体調そのものが良くなったとつい思い込んでしまうので、病気の症状かもしれないという意識が欠落してしまいがちになるのだ。中には病気が治ったと勘違いして、薬を飲むのをやめてしまう人もいるようである。体調が良いのか、それとも病状の悪化なのか。その判断は、躁うつ病患者にとって永遠の課題かもしれないと私は感じている。

 症状はひとりひとり違うので、自分なりの体調管理を身につけるまでにはかなりの時間を要する。安定して平穏な日常生活を送ることができるようになるまでには、数多くの体を張った試行錯誤は避けて通れない。そういった過程を経て、初めて体得できるものだと思うのだ。しかもその後でさえ、体調が逆戻りしてしまうことも多い。その点が精神の病を辛く厳しいものにしている大きな要因ではないだろうか。その過程で命を落としてしまう者もいる。私の場合、それは決して逃れることのできない修行のようであった。しかも、出口すら見えないのだ。

 当時、夜中に突然巣箱を作り始めたことがある。アイデアが思い浮かぶとじっとしていられず、すぐに行動に移さねば気がすまないのだ。朝まで待てず、夜中の一時頃からデッキでひとり作り始める。私は元々工作が得意だったこともあり、設計図をささっと描き終えると、早速木材をのこぎりで切り始める。深夜の静かな森の中に、のこぎりの音だけが響き渡る。

「ギッギッギッギッ、ギギィー。」

 完成目指して一心不乱に休むことなく木材を切っていく。まるで何者かに取り憑かれたかのように。

 性格もあるかもしれないが、私は作るからには自分の中で完璧を目指す。一切の妥協はしない。本体を完成させるだけでは飽き足らず、次は装飾に取り掛かる。幸い庭には木の実や枝などが豊富にある。工夫を凝らし自分のイメージに近づけていく。こういう時の集中力は途切れることがない。また感覚が研ぎ澄まされているため、結果として完成した巣箱は、自分で言うのもなんだか素晴らしい出来栄えであった。最後に野外でも長持ちするように、全体にニスを塗って仕上げる。時計の針は五時をまわっていた。

 また真夜中に車の洗車を始めたこともある。とにかく、一度気持ちにスイッチが入ると朝まで待てないのだ。極度のせっかちとでも言おうか、もはや待つことは苦痛でしかなく、とてもではないが眠れる精神状態ではない。

 野外用のライトを照らし、入念に車を洗い始める。これまた一切の妥協はしない。バケツにカーシャンプーをドボドボと入れてホースの水を勢いよく注ぎ込み、バケツが泡でいっぱいになるまでを待つ。そしてスポンジで隅々まで汚れを落としていく。ドアやボンネット、トランクも開ける。見えないところも手を抜くことはしない。そしてまんべんなく水で洗い流しきれいにふき取る。だがまだ終わらない。タバコに火を点けしばし休憩の後、今度はワックスがけを始める。汗だくになり、メガネに汗の雫が溜まり視界がぼやけてもやめない。私の頭は車をピッカピカに磨くことしかないのだ。そして、思い通りの仕上がりになった時の達成感は何ものにも替え難い。