躁うつ病ではあったが、私の場合極度のうつ状態であることが大半であった。その苦しさは筆舌に尽くし難い。大学の同級生は頑張って働いているのに、自分はどうして仕事が長続きしないのだろうか。罪悪感ばかりが増していき、心が休まる暇がない。無職で一日中自宅にいるため、周りの目が気になり外出すらもできない。ただひたすらに現実逃避。

「明日、目が覚めなければいいのに。」

 毎日そんな思いで布団に入っていた。
 
 たまたま町の広報誌に、キャンプインストラクター募集の記事が載っていた。母が教えてくれたのだ。かつて子供たちをキャンプに連れて行くボランティアをしていたので、興味を持つかもしれないと思ったのだろう。思い切って応募してみることにした。幸いにも募集人数に満たない状態であり、私はあっけなくキャンプインストラクターとして働くことになった。
 
 野山を駆け巡り、子供たちと登山やカヌー、野外炊飯などをしてとても楽しい日々を送っていた。いつしか、病気がすっかり治ったのではないかと本気で思い始めていた。もう大丈夫に違いないと。その施設では学校の先生がたくさん働いていたのだが、今まで出会ったことのないような、人間味溢れる素晴らしい方ばかりだった。

 実は小学生の頃、担任から泥棒の濡れ衣を着せられたことがあるのだ。それ以来、私は教師のことをこれっぽっちも信用していなかったし、むしろ軽蔑の対象ですらあった。しかし、この施設で先生に対する認識はガラリと変わった。そして強く思うようになる。教師になりたいと。
 
 ところが肝心の教員免許を持っていなかった。しかし、通信制大学で二年間勉強すれば教員免許を取得できるということを知る。私に迷いはなかった。キャンプインストラクターの仕事をしながら通信制大学で学び、教育実習にも行き、教員採用試験の勉強もした。

 採用試験は多岐にわたる。学科試験、教育法規、日本国憲法、実技試験(ピアノ、水泳、跳び箱、マット運動)、論作文、模擬授業、集団面接、個人面接の全てをクリアしなければならない。無謀な挑戦と周りは思っていたようだが、私には合格する道筋がはっきりと見えていた。そしてすべての試験が終わった時、私は合格を確信していた。自分で言うのもおかしな話だが、ほぼ全てが完璧な出来だったのだ。だから採用通知が来た時も驚きはしなかった。さらにはその年に採用された教員の代表して、大勢のお偉いさん方の前で挨拶までさせて頂いた。トップ合格だった。
 
 試験まで一年余り、私は間違いなく軽躁状態であった。と言うのも、自信に満ち溢れ、不可能なことなどないとさえ思っていた。集中力も凄まじく、仕事と食事と睡眠以外の全ての時間を勉強に費やすことができた。また、どうしても解けない数学の問題を、夢の中で解いたことも何度かあった。実際に夜中に起きて机に向かい、それが間違いでないと確認する度に恐怖すら感じた。もはや何者かにとり憑かれているとしか言いようがない。神がかっていた。しかし、その時はこれこそ本来の自分だと思い込んでいた。
 
 当時の私は夢や希望で満ち溢れていた。これでようやく長年私を苦しめ続けてきた病気ともきれいさっぱりおさらばできると信じていた。しかし現実は残酷なもので、そう簡単におさらばできるほど甘くはないのだった。