内戦状態にあるシリアで、日本人フリージャーナリストの山本美香さんが銃弾に倒れました。

最も戦闘が激化しているアレッポで、反政府勢力に同行して取材をしているときに、政府を支持する民兵の襲撃を受けて数発の銃弾を受けたということです。

山本さんは、たんに巻き込まれただけではなく、兵士に狙われたという情報もあります。

シリアでは、ジャーナリストが狙われるケースが続出しており、山本さんのケースもその1つと考えることができるようです。

これは、政府側が、自分たちの行っている行為を国内外に知らされることを恐れている証拠と思われます。

ジャーナリストの側も、自分たちが事実を知らせることで国際社会に少しでも影響を与えて、暴力の抑止になることを目的に危険を承知で取材活動を続けているようです。

以前、日本ではこのようなジャーナリストやNPOのメンバーの行動を、「自己責任」の名のもとに、無謀な行為で事件に巻き込まれたのは自業自得だと言わんばかりの声が多く聞かれました。

それが、2007年に長井さんが、ミャンマーのヤンゴンで僧侶らによる反政府デモの取材中に政府軍の兵士に至近距離から撃たれて死亡した事件以降、この種の声が影をひそめるようになり、今回の山本さんのケースでは、全くと言って良いほど聞かれません。

これは、日本社会が成熟したことを示すものだと思います。

「自己責任」と言う言葉が最も多く使われたのは、レバノンからイラクに向かっていたNPOスタッフが拘束されたときのことです。

この時は、自国民の安全を確保するのは、その国の政府の責任であると言う原則を守れないかもしれないと恐れた政府が、「自己責任」を必要以上に強調したことにマスコミが同調したからでした。

あのときの報道は、まるで勝手に観光旅行に行って被害にあったとでも言わんばかりでした。

しかし、NPOが、政府のできないきめの細かい援助を行って、日本の国際社会での地位が上がっていることは明確でしたから、事件のないときはその評判に乗りながら、何かが起きると政府とは無関係だとした政府の詭弁に過ぎないことは明白でした。

そして、永井さんの時には、事件直後には、一部のマスコミで「自己責任」論が出ましたが、有識者の間からそれを批判されると、あっという間にどこかに消えてしまいました。

そして、今回「自己責任」論が全く出ていないことは、国際基準がようやく理解されたことを示していると思います。

さらに言うなら、山本さんの行動を賛美しないまでも、その業績をもっと伝えられれば、より良かったと思います。

政権側がジャーナリストを警戒するのは、先にも書いたようにその行為が国内外に広く知られるからです。

と言うことは、実情が広く知られることが、抑止力となるということです。

これこそが、ジャーナリズムが戦闘状態にある場所で行うべき行為のはずです。

さらに言えば、正確な情報を提供して、人々が的確な判断ができるようにすることこそが、ジャーナリズムの本来の役割だということです。

ですから、残念な事件に遭遇してしまいましたが、山本さんは本来のジャーナリズムのあるべき姿を示した人だと言えると思います。

このことに目を向けるべきです。

また、山本さんのようなジャーナリストのほとんどが、フリーであることも見逃せません。

つまり、大手の放送局や新聞社の所属ではないということです。

大手では、中々真に報道したいことが報道できないという実情が、このような事態を招いているのだと思います。

この現実も、直視するべきでしょう。

シリア情勢は、ますます混とんとしていますし、シリア以外にも同じような状況に陥る国や地域が今後多くなる可能性もあります。

したがって、山本さんのような悲劇に遭遇するジャーナリストも増えていくかもしれません。

そんなときに、せめて、その人たちの志を受け止められる社会になっていきたいと思います。