社民党の辻本清美衆議院議員が離党しました。

辻本議員は、社民党が連立与党を離脱したときに党に対する不満を露わにしていましたので、遅かれ早かれこのような行動を取ることは想像できました。

むしろ遅すぎたとさえ言えるのかもしれません。

僕は、社民党が連立解消を決断したときに、党を離れて与党に残る道を選ぶのではないかとさえ思ったほどでした。

当分は無所属として活動するということですが、これは離党の記者会見のときに辻本議員が言っていた「少数野党ではできることに限界がある」と言う言葉と矛盾しますので、近い将来の民主党入りは確実ではないかと思います。

このような辻本議員の行動に、「1度与党になってしまったら、野党に戻ることに耐えられなかった」とか、「参議院選挙での社民党の大敗を見て、自身の選挙への危機感が募ったからだ」といった穿った見方も出ています。

確かにこのような側面が全くなかったと言えば嘘になるのかもしれません。

しかし、選挙のことを言えば、辻本議員の知名度を考えれば、たとえ党への支持が無くなっても、落選することは考えにくいと思います。

それよりも、沖縄の米軍移設問題ただ1つで与党を離脱した社民党、ひいては福島党首のやり方への反発が大きかったのではないかと思います。

辻本議員は、国土交通省の副大臣としてやりかけていた仕事も多くあったはずですが、社民党の連立離脱でそれらがすべて中途半端になってしまったことへの心残りは当然あったはずです。

また、離党の記者会見で、「反対しているだけでは何も実現できないことが分かった」という言葉は、政権に入っての実感だったのではないかと思います。

また、野党時代と政治手法の変わらない福島党首への疑念と不満を表す言葉でもあると思います。

閣僚になった福島党首になぜ辻本議員と同じことが実感できなかったのか不思議に思います。

参議院選挙での大敗と、影響力が強く次期党首とまで言われていた有力議員の離党で社民党が大きな痛手を負い、党存続すら危ぶまれかねない状況に陥るのはほぼ確実だと思います。

連立政権発足時には、やや回復しつつあった支持率が、鳩山政権の支持率が下がるのと比例して下降し、連立離脱後も歯止めがかからないことにもっと危機感を持つべきだと思います。

このような支持率の推移が意味するのは、連立与党としての社民党の政策やその実行能力に国民が失望していることです。

福島党首は、連立を離脱することで存在感を示そうとしたようですが、この行動を称賛したのは、話題を提供してもらったマスコミと、政権崩壊の切っ掛けとしようと目論んだ自民党をはじめとする野党とその関係者だけでした。

大半の国民は、与党内にいながら連立離脱という行動でしか自らの存在感を示せなかった社民党に失望していたと思います。

もともと社民党が政策で一致できたのは、民主党内の中道左派の人たちだけで、民主党内の旧自民党系の人たちや国民新党とはほとんどの政策で一致しないことは最初から分かっていたはずです。

それでもあえて与党入りしたのは、自らの政策実現を可能とするためだったはずです。

そうでなければ、民主党の数合わせにあえて乗った意味がないはずです。

それが結局何もできずに、最初から分かっていたはずの政策の不一致であっさり連立を解消したのですから失望されて当然だと思います。

そして、今回の辻本議員の行動は、これらのことを福島党首をはじめとする社民党全体に思い知らせることになったと思います。

今後の辻本議員の行動には注目が集まるのは当然のことですが、批判することだけで何もできない党を批判して離党したのですから、今度は自らがそうならないように、しっかりとした行動を取ってもらいたいと思います。